信濃/ 伊豆木陣屋
小笠原書院



ファイルNo0357

              陣屋への石段  

@ いずきじんや おがさわらしょいん
  別名  −−−−−

A住所: 飯田市伊豆木 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:石垣・現存書院・説明板
G時代/人物: 江戸期/小笠原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  小笠原書院駐車場より7分

J撮影・訪問時期:
2003年03月・2017年03月

  

道案内 

中央高速道飯田インターを下り、国道153号線に右折し2つ目の信号(上殿岡)で右折。天竜峡方面に向かいます。下中村の信号から6Km先、県道491号線をまだ飯田市なのかと不安になるくらい走ると、道の左側に大きな標識と駐車場があり、右側奥100mのところに書院はあります。(あるいは国道153号線から飯田市川路で県道234号線に入り、三穂小のところで県道491号線に右折して500mです。)
 
訪城備忘録

陣屋の構造は小型の城郭そのものです。書院前の門までの石垣がうれしくなるくらい。主要部には現存の書院が残ります。玄関は唐破風になっており、中央基股に小笠原氏の紋、三階菱がついています。敷地内にある資料館は、他の資料館と違い外観が大変異彩を放ちます。設計は飯田出身の女性とのことです。模擬の城郭風建物を建てるより現代的思考での建物を選択されたとの事でした。書院見学の際は管理の方が懇切丁寧に説明していただけます。 なお、飯田市江戸町1丁目の専照寺山門はここの太鼓門が移築されているとの事です。山門には伝馬町2丁目側から入ります。

現存の書院
歴史

伊豆木小笠原氏は松尾小笠原氏系で、慶長五年(1600年)に徳川家康より小笠原長巨が1000石を与えられ陣屋を構えました。江戸期は交代寄合衆として存続しました。(長巨の兄が信嶺で天正十八年(1590年)に徳川家康の関東移封に従い本庄一万石に移りましたが、その後を酒井忠次の三男の信之が信嶺の娘を娶り養嗣子となった事で本家が男子系でなくなった事が長巨に伊豆木が与えられたんじゃないんでしょうかね。)


太鼓門周辺の石垣        書院を下から
石段               資料館外観
  
書院外観
三階菱の紋
式台
     懸造り(清水寺と同じ)           書院の内部       
明銭形の釘止め             源氏の紋・竜胆(りんどう)紋
書院内部

近くの城・関連の城:松尾城伊豆木城 ※