西三河/ 真弓山城



ファイルNo0214

櫓・門などが復元されている。 足助七城・戦国足助七城のひとつ

         北側から南の物見台

@ まゆみやまじょう 
  別名  足助城・松山城

A住所: 東加茂郡足助町足助 
B目標地点:真弓山     
C形式:山城  D比高:170m 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・堀切・復元櫓・説明板
G時代/人物: 戦国期/鈴木氏
H満足度:
凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  足助城駐車場より5分

J撮影・訪問時期:2002年02月・2004年12月
        2016年05月・2018年06月

  

道案内 

豊田市中心部より国道153号線にて足助に向かい、飯盛山を過ぎて右折れして国道420号線に入り、足助中学横を越えてすぐに左手方向へ案内板に沿って登りますと足助城(真弓山城)駐車場に至ります。毎週木曜日は休城日(休館日)ですので注意。
 
訪城備忘録

城跡は発掘調査を元に大櫓・物見櫓・門などが復元公開されています。戦国期山城の縄張りがわかりやすく見学できます。ついついそのままになっている遺構はないか下まで降りてみたりしてしまいますが・・・^^;; 公園内の遺構は小郭の四方への配置と切岸主体で明確な堀切・竪堀があるというわけでもなく、やや物足りないのが本音です。

【足助七城】
足助鈴木氏の城を足助七城と言いますが、戦国期にも足助七城という言い方があります。また、足助七屋敷という言い方もあるのでどれがどれだか・・・^_^; わかる範囲を記載します。なお、異説もあります・・・。

(鈴木氏)足助七城=飯盛山城・真弓山城(足助城)・黍生城成瀬城城山城大観音城臼木ケ峯城

 戦国足助七城=真弓山城・浅谷城・御蔵城・新盛城(八桑城)・安代城大沼城田代城

  
西の段郭を下から見上げる
歴史

築城時期は定かではないようです。足助鈴木氏の本城ではあります。 二代重政(初代は忠親)は大永五年(1525年)岡崎の松平清康に攻められ松平氏に属します。その後今川氏に属し、松平元康(徳川家康)自立後は再び松平氏に属します。天正期の武田氏の三河侵攻時には武田氏の城となり松山城と呼ばれました。家康の関東移封時足助鈴木氏も関東に移り、真弓山城は廃城になりました。

復元物見櫓     復元虎口
主郭復元櫓      紅葉
西の物見台             西段郭の下から南物見台
現地案内板より
主郭と南物見台の間
西物見台
西の丸        高櫓内
現地案内板より
  
足助城入口                           復元物見櫓
城跡遠望
足助の町から高櫓を遠望
香嵐渓

近くの城・関連の城:飯盛山城黍生城成瀬城城山城大観音城臼木ケ峯城

 浅谷城・(八桑城)・安代城大沼城田代城   ※