西三河 三河下山田代城



ファイルNo0261

戦国足助七城のひとつ

   堀切  

@ たしろじょう 
  別名  −−−−−

A住所:豊田市下山田代町入北切
    旧:東加茂郡下山村入北切

B目標地点:     
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・土塁・説明板
G時代/人物: 戦国期/−−氏
H満足度: 凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2002年04月

  
主郭

【道案内】 

豊田市内中心部より国道301号線で旧下山村に向かうと、根崎の信号手前1Km、国道301号線沿い下山観光案内所(兼食堂)より豊田市街地方面に500mほど手前のJAのガソリンスタンド(新井のバス停のところ)を右折し300mほど先に説明板があります。説明板よりさらに300mほど先が城跡です。(標識があります。)



【訪城備忘録】

主郭内及び尾根先端の郭側は薮状態で見学不能でした。ただ、主郭と先端側の郭に1列の石積みが認められますが畑かなんかの跡でしょうか? 主郭(居館)後方の尾根側に深い堀切と土塁が残ります。ただ、説明板には城跡としているのは居館跡のみで、詰め城は京ケ峰山頂のように書いてありました。

【歴史】

城の築城時期、築城者は不明ですが、史料には森外記、松平主税が城主ともあるようですが定かではないようです。元亀二年(1571年)あるいは天正二年(1574年)に武田氏の三河侵攻時の攻撃で落城したものと推測されています。

  
現地案内板より
  
  

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