遠江/ 犬居城



ファイルNo1359

馬出し郭が特徴的な城

                主郭から物見郭   

@ いぬいじょう 
  別名 

A住所:浜松市天竜区春野町領家〜堀之内
    旧:周智郡春野町
B目標地点:熱田神社
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・櫓台・堀・土塁・碑・説明板 
G時代/人物:南北朝期/天野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から10分
J撮影・訪問時期:2003年09月

  
東の郭の虎口

【道案内】 

新東名自動車道浜松浜北インターを下り、国道152号線新道を北上します。約4km先、飛竜大橋北の信号で左折し県道40号線に入り、約1.2km先の双竜橋の信号で右折し国道152号線に入ります。  <あるいは、東名高速道浜松インタを下り、県道65号線を北上します。1.6Km先の信号で斜め右に右折し県道45号線に入ります。道なりに約15km先の中瀬四塔の信号で右折し国道152号線新道で、約1.6km先が浜松浜北インターです。さらには、名古屋方面から来た場合は 浜松西インタで下りて県道65号線を東に進み、10Km先の内野入口の信号で左折し国道152号線に入ります。約14km先が浜松浜北インターです。>   双竜橋の信号から国道152号線で約2.5Km先の山東の信号で斜め右へ国道362号線に入ります。ここから約21Km先の新秋葉橋を越えてすぐの信号(天竜高校春野校舎の手前)を右折し、300m先を左折、さらに300m先で小さな陸橋で国道を越えたところに城跡への登り口があります。
  




【訪城備忘録】

この城の特長的なところは、東の郭が馬出し的になっていることでしょうか。これは天野氏が武田氏に属した時代の改修で武田流築城法が取り入れられたためとのことです。二の郭とは堀で遮断し土橋で接続され、北側に虎口を持ち、スロープ状にU字で東の郭下に進む構造になっています。東の郭下には三日月状に空堀が巡っています。さらに主郭・二の郭の北側には横堀が続いています。主郭から西側の物見郭は細い尾根上にありますが、東・北の巧みさにしては単調な感じがしました。



【歴史】

天野氏は承久の乱(1221年)の戦功によりこの地の地頭として入りました。南北朝期には一族は分裂しましたが、北朝方に付いた一族が繁栄しました。戦国期は今川氏親に従い、今川氏輝の時代には敵対しました。今川義元が当主となった時には義元に従い、天文十六年(1537年)には義元より所領を安堵されました。永禄三年(1560年)に義元が桶狭間で討死すると、天野景泰・元景親子は今川氏に背き、惣領家は藤孝が継ぎ、永禄十二年(1569年)の今川氏滅亡時期には徳川氏に属しました。しかしながら、藤孝は武田氏にも通じ、元亀三年(1571年)の武田氏の遠江侵攻では武田氏の先鋒をつとめてました。徳川氏は天正二年(1574年)に武田氏に従った天野氏を攻めますが落とせず、天正三年(1575年)の長篠の戦い後に再度総攻撃し犬居城は落城しました。 <現地案内板より>


  
  
東の郭下の空堀
  
城址碑
  
  

近くの城・関連の城:

          

現地案内板より
二の郭の土橋         城跡よりの眺望