若狭 土御門(安倍)氏館



ファイルNo3433


                居館跡            

@ つちみかどしやかた 
  別名  

A住所:大飯郡おおい町名田庄納田終
   旧:遠敷郡名田庄村 
(のたおい)
B目標地点:天社宮・泰山府君社跡
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:山林

F遺構等:郭・説明板
G時代/人物:戦国期/土御門(安倍)氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2018年08月

  

道案内 

小浜市内国道27号線の湯岡橋東詰の信号から国道162号線に入り西に進む、舞鶴若狭自動車道の石山インタを下り、県道16号線を南に進み、国道162号線と合流し西に進みます。国道162号線と県道16号線の合流まで湯岡橋東詰から約30km、石山インタから約13kmくらいです。県道と国道の合流地点から約4km先の左手に杉の大木があります。この右手が居館跡などです。ここからさらに1km先が道の駅名田庄です。

訪城備忘録

杉の大木の所は駐車場になっていて土御門家の説明板があります。国道の右手を少し登ると居館跡の社、さらに道を少し登ると薬師堂で、その背後に土御門家三代の墓所があります。
 
説明板
歴史

陰陽道、安倍晴明の末裔が応仁の乱の混乱を避けるために荘園があったこの地に長享二年(1488年)に移住しました。第三十一代安倍有宣の時と言われます。また、本性の安倍氏ではなく、家名の土御門氏を名乗ったのは有宣からと言われるようです。江戸初期まで三代がここに居住し、三十四代久脩が勅命を受けて慶長六年(1601年)に京都に戻ったとされるようです。<現地説明板より加筆>

居館背後の薬師堂(江戸初期再建)
国道沿い大杉      土御門三代の墓所
晴明神社    京都市上京区晴明町<堀川通り沿い>
京都市内の晴明神社
千利休邸宅碑     安倍晴明居館跡碑

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