越前 河野丸砦
杉津砦



ファイルNo3273


                  河野丸砦 主郭土塁 

@ こうのまるとりで
  すいづとりで
 

A住所:敦賀市阿曽〜杉津
B目標地点:北陸自動車道杉津PA上り線
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:河野丸砦/郭・堀切・土塁・石列
     杉津砦/郭

G時代/人物:戦国期/朝倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  トンネル脇から比高110m、20分

J撮影・訪問時期:2017年06月
          ・(2019年05月)

  

道案内 ←城跡   ←登り口

北陸自動車道敦賀インタから国道8号線(敦賀バイパス)を越前市方面に進みます。約21km先、杉津地区の東浦中学手前の県道207号線に右折します。約3kmほど道なりに登りを進みます。北陸自動車道杉津パーキング上り線を過ぎて右折し高速道路をくぐります。くぐってすぐに右折しパーキングの横を通ります。パーキング横を過ぎ300mほどでトンネルでこれを通り、トンネルを抜けてすぐ右手が登り口です。トンネルは曽路地谷隧道と言い、元の北陸本線(昭和37年まで)のトンネルでした。道も元は北陸本線の線路であり、杉津パーキングも元は北陸本線杉津駅の跡になります。
 
訪城備忘録

トンネルは車一台しか通れない幅で道もさほど広くないため、トンネル脇に車を停めると邪魔になるかもしれません。トンネル入り口から竹藪に入ります。すぐに北陸道上り線のトンネル出口の上になります。先人の訪問者が赤いテープを絶妙の位置に箇所箇所に木にくくってくださってるので、それを目印かから離れないように直登します。急斜面の中腹までは竹藪で、竹の葉が枯れて堆積し非常に滑りやすいです。足場と捕まる木や竹に注意しながら登ります。中腹になにかの意図で石積みされた箇所があり、ここを越えると斜面はやや緩くなり、尾根まで一直線です。尾根まで登ったら左手に進むと河野丸砦です。

砦手前の尾根に堀切があり、砦直前にも堀切があります。主郭部は土塁が巡り尾根側と先端側に虎口があります。主郭の外側には帯郭状になってます。主郭から先端側も平坦地があり、石列の痕跡が何カ所か残ります。

尾根先端までやや下り、さらに急斜面を30mほど下がると尾根の鞍部があり、再び登ると鉄塔があってここだけやや視界が広がります。この先を少し登ると平坦地があり、ここが杉津砦のようです。と言っても土塁、堀切などの城郭パーツは見当たらず、ここが本当に杉津砦か確証はありませんが、福井県の遺跡分布図を見ると合っているようです。

それでももしや河野丸砦が杉津砦で、河野丸砦は尾根側奥にあるのかもと思い、登ってきた地点からさらに奥に行ってみました。北陸自動車道の下り線トンネルの上を過ぎるくらいまで行ってみましたが、平坦地は認められますが、堀切などの城郭パーツはないようです。地図で見るとこの尾根をどんどん登ってくと木の芽峠城塞群の鉢伏山城につながってます。

杉津パーキング下り線より城跡遠望
歴史

永禄十二年(1569年)に朝倉義景が構築した木の芽峠城塞群に続く河野丸砦ー杉津砦ー岡崎山砦と繋がる沿岸部の防衛線のひとつと考えられます。元亀元年(1570年)の織田信長の越前侵攻で敦賀から攻める織田軍が最初に攻めたのが河野丸砦と言われます。この時は浅井長政の離反で織田信長軍は撤退しますが、天正元年(1573年)に織田氏によって朝倉氏が滅亡した後は天正二年(1574年)に一向一揆に防衛ラインになっていたんじゃないかと思われます。天正三年(1575年)に織田信長方は再び越前に攻め入り一向一揆方を壊滅しますが、この時にこの城も落城したと考えます。
 
堀切            河野丸砦     主郭虎口と石列
沿岸部三つの砦の位置
  
河野丸砦尾根上堀切
河野丸砦尾根上堀切
主郭手前堀切        尾根側虎口と石列
主郭手前堀切
尾根側主郭虎口・土塁を内側から      先端側虎口       
尾根先端側平坦地           石列
尾根先端側虎口と土塁
   
登り口付近からの眺望
曽路地谷隧道         登り口
中腹の石場
緩くなった登りの尾根         尾根平坦地
尾根側の平坦地
尾根側の平坦地          なんとなく堀切状
杉津砦 3274  
     手前鞍部            鉄塔のある平坦地からの眺望
郭からみた斜面             郭内
敦賀湾の夕陽 2019年05月

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