若狭 稲葉山城



ファイルNo3252

              南の郭の南下堀切

@ いなばやまじょう 
  別名 加斗城 稲葉城 

A住所:小浜市飯盛〜加斗
B目標地点:稲葉観音堂
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・畝状竪堀
G時代/人物:戦国期/伊崎氏・武藤氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  観音堂から20分

J撮影・訪問時期:2017年05月

  

道案内 ←稲葉観音堂   ←登り口   ←城跡

舞鶴若狭自動車道の小浜西インタを下り、岡津の信号で右折し国道27号線を小浜市内方面に進みます。約1km先、加斗の信号で右折します。150m先左手が加斗公民館で、さらに100m先で高速道路のガードをくぐります。150m先の路地で左折しますが、ここから道が狭いのです。 <車の場合は公民館で駐車は住民の方から苦情が来ているとの事ですので加斗駅か加斗パーキング付近で交通の邪魔にならない箇所を探す必要があります。>  左折してから150m先、まっすぐに山へと右手に道があり、右手に進みます。50m先でゲードでさらに50m先が稲葉観音堂です。 観音堂に入るゲードからフェンス沿いに左手に行きます。竹林の中を200mくらい行くと右手奥の斜面に砂防ダムになってる箇所があり。この手前で左手尾根方向に登りますと山道が現れます。途中までは道がありますが中腹からはその道も消えますが、まっすぐ山頂に向かって登ります。
 
訪城備忘録

登城道は道案内に書いた通りですが、どこに道があるのか判らなかったんで稲葉観音堂の所からお堂を正面にして左方向に進み、やや左にカーブしながら竹藪を進みました。谷からして左手の尾根に取り付き、そのまま山頂に向かって登りました。このコースは比高で120m程度ではありますが、急斜面ですべりやすく危険です。その上、カラス蛇やマムシまで出会い、最悪のコースでしたが、中腹には堀切などの遺構はあります。上から下りるのはさらに危険です。もしゆるすならこの尾根はやめておいた方がいいです。危険なため、あえてネットにあった縄張り図に加工して下記に示します。黄色がフェンス、青が順路です。 縄張り図は下記リンクから流用しました。
稲葉山城の周辺の発掘調査・(小浜市)

さて、城跡ですが、登った支尾根に堀切・竪堀があり、小郭がありました。尾根まで登ると南北に高まりがある北の郭、鞍部があって奥に南の郭になります。 北の郭、北の郭の北側下の段郭、鞍部の平坦地、南の郭ともに削平がしっかりしていました。前述の通り、北の郭は南北端に各櫓台がありますが、土塁はなかったです。その南下に堀切があり、鞍部があって南の郭です。南の郭は南側に高い円弧状の土塁があり、その南下に尾根を断ち切る堀切、西側斜面に畝状竪堀があるという構造です。主郭はどっちだろ? 南の郭のような気がします。 基本は堀切と切岸と畝状竪堀で防御された戦国中期の城という感じです。なお、東側斜面の郭には行きませんでした。それにしても、若狭から舞鶴にかけての城には畝状竪堀を持つ城が多いな。

稲葉観音堂
歴史

詳細不明です。石山城の武藤氏、または、その前にこの地を領した伊崎氏の関連と思われます。武藤氏は嘉吉元年(1441年)に一色氏を滅ぼして佐分利庄を領し、一族の武藤友益は天文七年(1538年)、稲葉城の伊崎堯為(友賢)を滅ぼしこの地も領したようです。武藤氏は天正九年(1581年)に本郷氏に攻められ落城したとされます。

北の郭の南下堀切       南の郭の土塁
黄色はフェンス・青色は登城ルート (縄張図は小浜市サイトより)
砂防ダム前/左に登る      城跡への途中の斜面
  
支尾根の堀切(正面下から)
支尾根の竪堀
支尾根から上を見る(竪堀)
斜面の竪堀?
北の郭北下段郭     北の郭北端櫓台
北の郭東下帯郭      北の郭の南側
南の郭への鞍部から切岸
鞍部       堀切
中間の堀切
中間の堀切
南の郭
南の郭土塁
南の郭南堀切
南の郭南堀切              竪堀
南の郭南堀切
南の郭南堀切
南の郭南堀切
竪堀

近くの城・関連の城:海坂山城 達城