越前 清水山城



ファイルNo1798

                            

@ しみずやまじょう 
  別名 

A住所:福井市清水山町
    旧:丹生郡清水町清水山
B目標地点:毘沙門神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・宅地・畑地

F遺構等:郭・堀?・碑・説明板
G時代/人物:室町期/太田氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2007年10月

  

道案内  

北陸自動車道福井インタを下り、国道158号線を福井市内中心部に向かいます。2km先の国道8号線が高架で交差する西方の信号を左折し国道8号線に入ります。3.5km先の大町の信号で右折し県道182号線に入ります。JR北陸線、福井鉄道を越えてから1km先で県道は左折です。2.8km先の信号で県道は左折です。2.5km先の信号で右折です。少し走ると日野川沿いを走ります。1.2km先で右折すると清水山橋で、これを渡ります。橋を渡ると左折し土手沿いを走ります。300m先の右手奥が神社で、この周囲が城跡です。

訪城備忘録

清水山と言いますが、山ではありません。日野川沿いにあり、往時は蛇行した日野川に三方が囲まれた城だったようです。今は、小さな毘沙門堂がある辺りが周囲より高いところにあり、現在の日野川の土手沿いから入って行けます。集落側からは石段がついています。これ言った遺構は無さそうですが、集落側は切岸状で、北側に堀跡であろう窪地があります。

毘沙門堂
歴史

築城時期は定かではないようです。斯波氏の家臣の太田貞敏が築城したとされます。文明元年(1469年)、朝倉孝景との戦で落城しました。子孫の太田宗清が織田信長に仕え、その子の一吉が豊臣秀吉に仕え、天正十年(1582年)、太田一吉は丹羽長秀の付奉行として先祖の地に入り、三千五百石でこの地を領したとされます。文禄二年(1593年)、六万五千石で豊後臼杵城城主となり、この地は嫡子の隆満が六千石で領しましたが、関が原の戦いでは西軍についたため改易され、廃城になったようです。

切岸かな?       堀跡
  

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