越前/ 藤島城



ファイルNo1636

南北朝の北朝の拠点

           城址碑と説明板    

@ ふじしまじょう 
  別名 

A住所:福井市藤島町
B目標地点:西超勝寺 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺 

F遺構等:土塁・碑・説明板 
G時代/人物:南北期/−−氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年11月

  
土塁の痕跡

【道案内】 

北陸自動車道福井北インタを下りて料金所うを出て左折し、250m先の福井北インタの信号をまた左折します。400m先で北陸自動車道をくぐり、さらに800m先の東藤島の信号を右折して県道164号に入ります。200m先の京福電鉄越前本線東藤島駅の横の踏切を渡り、250m先の右手3本目の路地を右折します。そこから200m先の道なりに右に曲がりと西超勝寺です。 踏切から200mほどの左手路地に曲がってすぐ、公民館前にこの一帯(東藤島)の史跡マップの案内板があります。この近くに東超勝寺がありますので、お間違いなきよう。 東藤島の史跡マップ案内板をみると、藤島城の南側1.5Kmのところにある原目山(原目町)は南朝の陣城で波羅密城というようです。近くまで行って見ましたが、場所が特定できませんでした。

 


【訪城備忘録】

寺の山門横に城址碑があり、本堂の裏手の墓地のそばに土塁の痕跡が残っています。

 
【歴史】
築城時期は定かではないようです。南北朝期に北朝方の斯波高経が延元五年(1338年)に南朝方に対する拠点の一つにしたと伝わり、平泉寺の僧兵も守ったようです。また、城主として波多野出雲守の名が伝わるようです。超勝寺は藤島城跡に明徳三年(1392年)に創建されたと伝わり、越前一向一揆の拠点となりました。永正三年(1506年)、五代実顕の時に朝倉氏に敗れ、加賀の塔尾超勝寺に逃れたとされます。永禄十年(1567年)、朝倉氏と和睦し藤島に復帰しました。天正三年(1575年)、朝倉氏滅亡後の織田信長の越前一向一揆討伐で寺は焼失しました。慶長七年(1602年)、本願寺が東西に分かれ、超勝寺も西超勝寺と東超勝寺に分立しました。



  
本堂
  
  

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