越前/ 長崎城

ファイルNo1634

新田義貞の墓がある場所

                          称念寺山門  

@ ながさきじょう 
  別名 

A住所:坂井市丸岡町長崎
     旧:坂井郡丸岡町

B目標地点:称念寺 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺 

F遺構等:土塁・堀? 
G時代/人物:南北期/新田氏?
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年11月・2018年07月

  
新田義貞の墓

【道案内】 

北陸自動車道丸岡インタを下り、県道30号線を国道8号線に向かいます。1.4Km先の高架下、八ツ口の信号を右折し国道8号線に入ります。600m先の一本田の信号を左折し、県道10号線に入ります。1.2Km先の信号で左折し、600m先を右折、さらに200m先を左折した100m先が称念寺です。

 


【訪城備忘録】

城という感じはしません。新田義貞と本堂の裏手に土塁らしい盛り上りがありますが、それが遺構なのかよくわかりません。 なお、この寺の門前に明智光秀が朝倉氏に仕えながら10年ほど住んでいたという史料もあります。明智光秀は東大味にも居住の伝承があり、そちらは明智神社があります。

 
【歴史】

時宗の長崎道場と呼ばれ、正応三年(1290年)に時宗二代目の真教上人に称念房が寄進して、称念寺と呼ばれるようになったとされます。城としては南朝の陣城として機能し、暦応三年(1338年)、新田義貞は灯明寺畷の戦いで戦死しここに葬られました。足利将軍家は、長禄二年(1458年)に安堵状と寺領の寄進をし、将軍家の祈祷所として続きました。さらに江戸期は、徳川家が新田氏の末裔としているため、保護しました。 <現地案内板より>

  
称念寺境内
  
  

近くの城・関連の城: