越前/ 大野城



ファイルNo1193

石垣が古風でいい感じの城跡です。

           天守郭武者登り   

@ おおのじょう 
  別名 亀山城 

A住所:大野市城町 
B目標地点: 
C形式:平山城  D比高:120m 
E現況: 公園・山林

F遺構等:石垣・模擬天守・土塁・堀・石碑・説明板
G時代/人物:戦国期/金森氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  南口から15分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2014年11月
          2016年08月

  
本丸石垣

【道案内】 

北陸自動車道福井インタを下り、国道158号線を大野方面に進みます。約30Km先、新丁トンネルの抜け約1.4Km先のT字交差点の犬山の信号で右折します。約500m先で左折し国道476号線に入ります。約600m先で川を渡りすぐ右折します。約200m先で道は左折し約600m先めいりん南の信号の斜め左前に観光駐車場があります。駐車場の前の山が城跡です。柳廼神社の左手(南登り口)から登ります。登り口は反対側(西登り口)にもあります。
   


【訪城備忘録】

2001年に初めて訪城しましたが、その時の印象は楽に天守前まで行った記憶があったんですが、2016年に訪城した際は、8月であった事もありますが、案外に登るという印象でした。^^; 百間坂あるいは遊歩道で登ります。山頂の本丸中心に南北に郭がありますが、遊歩道は南端の郭から入ります。

南端の郭から本丸域に入る所に小さな橋がありますが、堀切跡の感じです。橋を越えると模擬門があり、その先にお福池があります。お福は金森長近の正室の名だったようです。亀山頂上に模擬ではありますが品のいい模擬天守が建っています。天守群は大天守、小天守、天狗櫓が連結された複合連結式であったようですが、現在の模擬は天守と小天守が建ってますが、小天守の位置は天狗櫓の位置のようです。天守郭、本丸の石垣は野面積みの古式な石垣で、石がやたら黒いですが、趣があります。 しかしながら、ほとんどが積み直しの石垣との事です。「おふく池」側のみ現存とか。本丸から北側に下りて行くと副郭とも言える郭があり、休憩所のあるところは麻木櫓があったところです。この副郭からさらに北側に段郭が続きます。江戸期は麓の学びの里めいりんがあるところが居館でした。

ここ大野は、戦国大名、朝倉義景終焉の地で、お墓があります。2016年に訪れた時にはお墓の周囲が綺麗になってました。また、大野城は、2014年に兵庫の竹田城からブームになった天空(雲海)の城のひとつです。岡山の備中松山城とともに天空(雲海)の城として話題になってます。大野城の対面側にある戌山城のビューポイントから見ることができますが、しかし、年に数度しか見られないようです。市内には武家屋敷なども残っています。
 
【歴史】

天正三年(1575年)に越前を平定した織田信長は金森長近を三万石で大野に入れました。長近は朝倉景鏡の戌山城に入りましたが、新しく亀山に大野城を築城しました。天正十三年(1585年)の金森長近は飛騨侵攻し三木氏を滅ぼし、豊臣秀吉より飛騨を与えられ移りました。その後、青木氏、織田氏が城主となり、慶長五年(1600年)の関が原の戦い以後は越前は結城秀康が入り、大野城も秀康の持城となり、家臣の土屋昌明が三万八千石で入りました。元和九年(1623年)に秀康の三男の松平直政が入り、その後は直基、直良、直良の子の直明らが城主となりましたが、天和二年(1682年)に直明が明石城に移封し、土井利房が四万石で入部し土井氏が明治維新まで続きました。

    
  
模擬天守
  
天守郭石垣
  
模擬天守
天守郭石垣の武者走り(積み直し)
本丸石垣        城址碑
  

近くの城・関連の城: 飛騨高山城 近江金ケ森城

          

現地案内板より
大野民族博物館にある@亀山城」名の城址碑    麓の模擬門     
往時は堀切?    本丸石垣
本丸模擬門     天守とお福池
天守郭の石垣
天守郭の石垣
模擬天守
内山家    武家屋敷    田村家
御清水               2016年          朝倉義景の墓所
戌山城から大野城
戌山城から見る大野城
戌山城から見る大野城
戌山城から見る大野城(2014年夕方)
大野城から戌山城を遠望(2016年)
麓駐車場から天守遠望
2001年訪城
城跡遠望                天守
大野の聖水              朝倉義景墓所