越前 / 成願寺



ファイルNo1182

                    堀切@と土橋        

@ じょうがんじじょう 
  別名 

A住所:福井市成願寺町・次郎丸町 
B目標地点:成願寺ふれあい会館 
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・説明板 
G時代/人物:戦国期/前波氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  成願寺ふれあい会館から25分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2018年04月

  
現地案内板より

【道案内】       ←登り口

北陸高速道福井インタを下り、国道158号線を大野方面に進みます。1.5Km先、荒木新保の信号を過ぎて800m先(天神の信号の1.3Km手前)で左折します。300m先集落手前(成願寺ふれあい会館前)に波着寺(なみつきでら)縁起説明板があります。ここに城のことも少し書かれています。この前から右手に進むと「波着寺」の標識が出ます。ここに左折し、集落の細道を山裾まで行くと古い鳥居があり、ここから登ります。塹壕堀底道のようなつづらの道を登ります。道には壱番坂から五番坂まで標識があります。登りきると観音堂跡になります。奥の御清水跡に行きます。ここから波着寺は右手上の方のようですが、当日は左手台地先端に登り、背後の切岸右手の坂を登り、そのまま右手支尾根をどんどん登って尾根まで登り尾根を右手に進みました。尾根に登った時点で城域です。



【訪城備忘録】

2001年は断念し、それからなかなか登るチャンスがなかったんですが、2018年に意を決して登りました。尾根上にあった四十以上の古墳群を利用した城のようです。各郭はコブ状の小さなもので、郭の間は堀切で区切られます。二カ所に大きな堀切があり、そのうち一つは、明瞭な土橋のある堀切でした。主郭は狭いんですが土塁で囲まれ、主郭西下の二の郭相当の南斜面には三条の竪堀が認められました。主郭の南側には折れのある虎口が南下腰郭に繋がってました。主郭の東下も多な堀切があるようですが、当日は雨で大変滑りやすかったんでここを下りるのはあきらめました。


【歴史】

天文から永禄年間に築城されたと思われます。城主としては朝倉氏の重臣の前波氏で、前波藤右衛門尉景当あるいは子の九郎兵衛(九郎兵衛尉吉継)が城主とされます。 一乗谷を守る支城として南の東郷槇山城とともに重要な位置にありましたが、元亀三年(1572年)に九郎兵衛は朝倉氏を裏切り織田氏に寝返ったとされます。その後、朝倉氏滅亡後、名前を桂田播磨守長俊と変え、織田信長の命で一乗谷の城主となりますが、天正二年(1574年)の一向一揆方の富田弥六に破れ自害したとされますが、成願寺城について何時廃城になったかなどは不明のようです。


  
城跡遠望
     
  
堀切A     主郭
堀切@と土橋
堀切A
     小堀切     堀切@からの竪堀
主郭土塁
  
登り口     坂道の標識
観音堂跡      御清水
御清水の左前方の台地と切岸

近くの城・関連の城:一乗谷