近江/ 鎌掛城



ファイルNo0794

蒲生氏初期の城・山上に居住性のある広い郭もある広域な城域

             主郭(下の郭)土塁

@ かいがけじょう 
  別名 

A住所:蒲生郡日野町鎌掛
B目標地点:正法寺〜鎌掛の屏風岩
C形式:山城  D比高:160m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・井戸
G時代/人物:南北期〜戦国期/蒲生氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道182号線沿い山屋敷より35分

J撮影・訪問時期:
2001年09月・2014年10月
       2015年12月・(2022年05月)

  

道案内 ←城跡   ←Aの登城口  ←@の登城口 
      ←Bの登城口

名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で右折し国道307号線に入り、約9Km先の日野町の松尾北の信号で左折し国道477号線に入り、約6Km先で県道182号線に右折し、約4Kmの鎌掛地区の正法寺を目指します。、(あるいは国道477号線川原の信号を右折し県道41号線に入り大窪の信号で左折200m先の大聖寺手前で右折(信号はありません)して日野の町を横断して約4Km先の鎌掛地区の正法寺を目指します。) 

登り口は三通りかなと思います。

@正法寺の東側の鎌掛の屏風岩の案内標識に従い山に入ります。すぐに道が二又になり、右手を進み、ピークのところで左斜面を直登する感じで登ります。尾根まで出たら山頂までさらに登るという感じです。 

A鎌掛山屋敷の一番西端の郭(沢に砂防ダムがある横)から斜面を登ります。中腹の尾根先端から小郭があります。屏風岩の上では尾根に大きな岩があり、これの左手が削り込んだような通路があり、ここを登ります。屏風岩上から細尾根を進みます。堀切を過ぎて斜面になり、見上げるとまだ大きな岩です。この上が山頂城域です。岩を正面に右から廻り込みながら登ります。最後の所が急斜面で岩場で滑ります。木につかまりながら慎重に登ってください。

B 県道182号線の城山北側にログハウスがあり、この横の道に入り、300mくらい先に左に見える沢川の道が小さな橋を渡り沢の左手に行く箇所があります。この橋のたもとで右前方向に登ります。右廻りで少し廻り込む感じで進んでいくと右手に沢があります。この沢沿いに登ります。沢が尾根にぶつかる手前にさらに右手に沢があります。分岐点にはビニールテープが木に括りつけてあります。この右手を登って行くと東の郭の先端郭の根元に到達します。
  
なお、10月頃は「松茸山」になるようで、山止(入山禁止)になる時期がありますので、ご注意ください。

訪城備忘録

最初の訪城ではこの城は城仲間のオフ会で行きましたが再び独りで行けと言われて行けるだろうか・・・^^;; とにかく@鎌掛の屏風岩に向かう山道を入りY字分岐路にある「鎌掛の屏風岩」の案内標識の地点で屏風岩は直進、城跡は右手の細い登り道を約10分ほど進み、沢を渡って左方向(北)の急な尾根筋を10分ほど直登という感じで鎌掛城の主郭にたどり着くというものです。

二回目はAの方法で行きました。最初は山屋敷の伝大手道という標識から登ったのですが、途中で左方向に行くと道が細くなりすぎて無理でした。右手方向に行くと屏風岩の上にでました。
尾根の中腹、ここは眺望もよく見張り台になっていたかもしれません。岩場の細尾根を進むと小さい堀切が二条確認できます。山頂下から5mほどの岩場の急斜面右に回り込みながら四つん這いで登りきると土塁の上になります。

この北側下が主要部上の段の郭です。L字の土塁とその下には桝形状の虎口が明瞭に残ります。意味がよくわからないL字の通路もあり、これって囮道??。 この郭の下に土塁で厳重に囲まれた主要部下の郭があります。虎口も明瞭に残ります。上の郭と下の郭を結ぶ通路はクランク状の通路で斜面に石垣に見える箇所があります。北の虎口から谷筋に下りると石組の井戸があります。大きなもので、深さは3〜4mほどありそうです。

この井戸から左右の支尾根に郭群が続きます。右手の郭(東の郭)は大きな郭が少なくても四段、最初の郭と二番目の郭の切岸は3mほどあるかな。二番目の郭には低い土塁が巡り、郭内はなぜかぬかるみ状態です。その先に3、4番目の郭が続きますが、各郭は1m程度の段差で続きます。3番目と4番目の間の右手斜面がBの登り口への降り口です。先端郭には低い土塁の痕跡もあります。 ひとつひとつの郭がわりと広いという印象です。

戻って、井戸の左手(西側)の支尾根に登ります。主要部から伸びる尾根が切れたところで尾根は北西側の支尾根に伸びています。この根元の郭は南北に虎口を持ち、東側土塁は高く、その他は低い土塁が巡ります。北側の虎口は大手道に繋がっていたとの事ですが、今は崩壊して通れません。この郭は城内で一番広い郭に感じます。相当の居住性を感じます。この郭の先にも高い切岸の先に大きな段郭が二段ほどあるようですが、疲れてパスしました^^; 全体的には山頂下の主要部を扇の要とし、東西の支尾根に展開する馬蹄形の縄張りの城ですが、各郭が大きい。相当に規模の大きな城という事になります。

三回目(山頂に登るのは三回目)は、Aで登ってBで降りてきました。今回はオフ会で登りました。 昨年に比べて当然ですが大きな変化はないですが、Aの登り道もBの登り道も標識もなく、麓の山屋敷には標識があっても山上の遺構にはいっさい案内標識もなく、あまり登ってほしくはないんですかね。
なお、私は、主要部を構成している山頂郭を上の郭、その下の郭を下の郭(主郭)と呼称していますが、本には山頂郭を主郭、下の郭を二の郭と記載があります。

城域の北東にはしゃくなげ渓があり、また、正法寺下にはダリア園があります。 タリア園は10月は花のピークのようです。ここは、春はしゃくなげが咲き、ダリアの球根を売るそうです。正法寺もふじの寺です。

城山遠望
歴史

最初は南北朝期に砦程度かの築城がされたようです。その後、蒲生氏の内紛の際、六角定頼の調停で音羽城を廃城とした後の大永三年(1523年)に蒲生秀紀が(再築)築きました。しかしながら、大永五年(1525年)に秀紀が死去(毒殺?)したため廃城となったようです。

主郭虎口(外から)      北西郭虎口(内から)
主郭土塁            主郭虎口外のスロープ
地図院地図より 加筆
主郭土塁   2001年撮影   山腹の郭
城域からの眺望
西尾根からの眺望(狼煙が上がってます^^;)
左:鎌掛城城山  右:正法寺山
正法寺山入口の説明板
  
細尾根上の小さな堀切(二条)
山頂の郭と土塁(上の郭)
山頂の土塁
上の郭の土塁
上の郭から主郭(下の郭)への桝形状虎口
上の郭の西尾根への虎口(道は崩壊して通れません)
上の郭の行き止まりの通路
上の郭から主郭(下の郭)の虎口    土塁にある石積み痕跡?
主郭(下の郭)と土塁上      主郭(下の郭)虎口(内から)
主郭(下の郭)の土塁
主郭(下の郭)の西側土塁
主郭(下の郭)からの虎口を外側から
主郭(下の郭)と土塁
下の郭から谷指筋へのスロープ   石積みの井戸   
東支尾根の郭
東支尾根の郭(郭内はぬかるみ)
東支尾根の郭
南側虎口を内から      北西支尾根     郭内と北の虎口
北西支尾根郭の北の虎口(大手道に繋がっていたようですが、今は崩壊して通れません)
大きな土塁         北西支尾根      段郭を上から
北西郭(山上御殿だろうか?)
郭内と土塁           北西郭        南側虎口(外から)
   
山屋敷西端郭全景      山屋敷からAの登城口      西端郭からの登り口
       屏風岩           左は屏風岩展望へ、右は@の登城口
屏風岩の上の細尾根       屏風岩上からの眺望

近くの城・関連の城: 鎌掛山屋敷 音羽城 中野城 ※