近江 美濃部古屋敷
+冨川屋敷



ファイルNo3312

              布袋塚土壇              

@ みのべこやしき
  別名 美濃部氏館 美濃部氏屋敷 

A住所:甲賀市水口町梅が丘〜八光
B目標地点:水口高校東側
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地

F遺構等:土塁・土壇
G時代/人物:室町期/美濃部氏
           富川氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2017年08月・2019年10月

  

道案内 ←布袋塚  ←大手門跡  ←冨川屋敷土壇

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、名阪の信号の50m先の本綾野の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。約1km先、右手の水口城の反対側に(左手)水口高校の通用門がありますが、そのそばに布袋塚があります。本綾野の信号で右折し、約600m先の信号で左折し、約200m先を右折します。約150m先の左手の集合アパートの前の個人宅に土塁の痕跡があります。さらに約100m先は美濃部古屋敷の大手門跡で道がクランクしてます。さらに約100m先、近江鉄道の踏切手前を右折し、約100m先をまた右折した先、城南老人憩いの家の手前に富川屋敷の土塁痕が残ります。

訪城備忘録

館跡は市街化してしまって当然ながら大規模には遺構は残っていません。水口高校の通用門そばにある布袋塚は美濃部茂濃(しげあつ)の武具甲冑を子の茂盛がここに埋めたとされるところで古屋敷の土塁痕か水口城の遺構かは不明のようです。美濃部古屋敷大手門跡は水口高校の東側の南北の道になります。大手門跡はクランク状になっていてなるほどと思わせます。大手門跡から少し北側の集合住宅の隣に土塁痕跡と言われる箇所があります。富川氏は美濃部氏の同名中(どうみょうちゅう・同名惣)です。ここの土塁は高い土壇状とL字に土塁が残っていて驚きます。 梅ケ池は美濃部郷三池の一つと言われるようで、美濃部氏の水田開発の遺構と言われるようです。 ※同名中:戦闘集団、武士団、同姓者で組織される集団

  ←土塁痕   ←史跡:梅ケ池説明板と石碑

布袋塚説明板
歴史

築城時期は定かではありません。美濃部氏は甲賀53家であり、その内の21家であり、伴氏、山中氏と合わせて柏木三家と呼ばれるそうです。
美濃部氏は菅原道真の末裔と言われます。道真が太宰府に左遷された際に、道真の四男の4男淳茂は菅原家の荘園であった美濃部の郷(今の水口)の長(おさ)預けられ、その後、長の娘との間に直茂をもうけました。淳茂はその後京都に帰りますが、直茂は美濃部に残り、美濃部直茂と名乗りました。南北朝の頃には美濃部元茂の名があり、美濃部氏は甲賀武士の中心的存在であり、戦国期には信長に仕え、美濃部茂濃、茂盛の名があり、さらに、本能寺の変後、茂濃は徳川家康の伊賀越えを助けた事で関ヶ原の戦い後は家康に仕えて、江戸期は旗本になりました。五代古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝、元東京都知事美濃部亮吉はご子孫との事です。菩提寺は心光寺が水口にあります。

梅ケ池説明板と石碑     美濃部古屋敷大手門跡
  
美濃部古屋敷土塁痕     富川屋敷土塁
富川屋敷土塁

近くの城・関連の城:北内貴城