近江 / 猪鼻城



ファイルNo2645

京極氏の隠れ城?

               主郭?と石碑  

@ いのはなじょう 
  別名 河内城

A住所:米原市梓河内
    旧:
坂田郡山東町梓河内
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・碑
G時代/人物: 鎌倉期?/京極氏?
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
 
登城口から20分
J撮影・訪問時期:2011年06月

  

道案内 ←登り口 ←城跡

彦根方面より国道21号線で来ると、梓河内の信号で右折し、すぐに名神高速のガードをくぐり集落に向かいます。ガードより1.7km先集落の一番奥、梓川の右手に中尾林道の入口があり、ここに城跡の案内板(霊仙山登山口)があり、梓川の支流を渡り山道に入ります。5分も歩くと城跡の案内板があり、右手に登ります。比高20mほど登ると、道が無くなる箇所がありますが、ここで左手へ急坂を登って行きます。尾根付近でまた道が現れ、岩場のつづれ道を尾根まで登ります。途中、岩場の虎口に見える箇所、石段の痕跡に見える箇所があります。尾根から塹壕道をどんどん登ります。塹壕(掘底道)道が終わり長い土橋になる箇所の左上に碑があります。 
訪城備忘録

碑のある東のピークを頂点にその北側下に広い平坦地があり、さらに西側下、北西下に広い平坦地あるいは段郭があります。ただ、これが城跡なのか、あるいは山岳寺院の跡にも見え、なんとも解釈がしにくい城跡です。登城道から登ってくる、尾根手前には岩場のつづれ道が現れ、見方によっては岩場の虎口、石段の痕跡に見える箇所もありますが、なんとも言えない感じです。尾根先端から始まる塹壕(堀切道)道も碑のある平坦地の西下を越えると長い土橋状を越え、再び塹壕道となって、中尾林道に突き当たります。この道だけがあまりに立派で、平坦地は広いだけで防御施設がありません。もし、京極の隠れ城であったとしても山上御殿を想像します。

塹壕道
歴史

京極氏の初期、城は一代で変わる傾向があり、累代の城がないです。佐々木定綱の子が信綱、鎌倉中期、信綱の四男の氏信は京極氏の祖となり、大平寺城を居城とします。鎌倉末期から室町初期、京極高氏(道誉)が活躍しますが、この鎌倉中期から南北朝までの間に城として機能したようです。

主要部と思われる平坦地            土橋のような道 
西側の郭                 塹壕道
  北西の平坦地          北西の平坦地段差の石積み
  
猪鼻山遠望                  登城口案内板
右手への案内板            左手に登る箇所
左手の急坂(ここを登っていく)            尾根手前の道    
    塹壕道の始まり          岩場の虎口・石段の痕跡のような箇所

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