近江 赤尾氏館



ファイルNo2473


         西徳寺    

@ あかおしやかた 
  別名 

A住所:長浜市木之本町赤尾
    旧:伊香郡木之本町

B目標地点:西徳寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:集落

F遺構等:なし
G時代/人物:ーー期/赤尾氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2010年05月

  

道案内 

北陸自動車道木之本インタを下り、料金所の先の信号で左折し国道8号線に入ります。700m先の大音の信号で左折して県道44号線に入ります。川沿いを2.1km先で右折し橋を渡ります。突き当たりが赤尾集落です。県道44号線をまだ進むと旧高月町の磯野です。ここは磯野氏の本拠地です。
 
訪城備忘録

浅井氏の重臣の赤尾氏の領地ですが、今は集落になってしまい、遺構はないようです。地元の方にお聞きしたら寺の先の新しい家がお屋敷跡と言われましたが、結局どの家かわからずでした。寺の東側の丘にお堂があり、その背後の尾根が堀切、土橋状になってるんですが、これって遺構じゃないんかな?? 西徳寺は江戸期の本堂のようですが茅葺屋根がいい感じです。

丘の上のお堂
歴史

赤尾氏は湖北の土豪で京極氏に仕え、浅井氏が台頭すると浅井氏の重臣となり、海北氏、雨宮氏とともに浅井三将と言われます。赤尾美作守清綱は浅井氏初代の亮政から浅井三代に仕えました。天正元年(1573年)の織田信長攻めにより小谷城は落城、浅井長政は城内の赤尾屋敷で自刀し、清綱は討死したとされます。

 赤尾集落        丘から西徳寺を見る
丘の背後の堀切状
  

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