近江 / 長沢城



ファイルNo2471

小谷城の遺構とも伝わる浅井御殿が寺にある

              長沢城内堀跡碑   

@ ながさわじょう 
  別名 

A住所:米原市長沢
    旧:坂田郡近江町

B目標地点:福田寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・寺

F遺構等:堀
G時代/人物:平安期/長沢氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  福田寺から2分
J撮影・訪問時期:2010年05月・2020年08月

  

道案内 

北陸自動車道米原インタを下り、国道21号線を彦根方面に向かい、西円寺の信号で右折し国道8号線に入り約1.6Km先の顔戸の信号(国道8号線米原バイパスとの合流点)を左折し県道235号線に入ります。500m先の宇賀野の信号で右折し県道556号線に入ります。県道556号線は旧国道8号線です。2km先に長沢御坊のバス停がありここを左折したところに内堀跡の石碑があります。 
訪城備忘録

集落の中心に福田寺があり、周囲の集落には水路が巡ります。道がくの字に屈曲しているところがあったりで、城の名残だろうか。福田寺には浅井長政が寄進した浅井御殿があり、小谷城の遺構とも言われます。内堀跡の碑は旧国道8号線のそば、集落の入り口にありました。

歴史

長沢義盛が保元の乱(1156年)の戦功によってこの地を領有して城を築いたとされます。その後長沢氏が長く領有したようですが、長沢城は応仁の乱(1467〜77年)の頃に落城したようです。大永五年(1525年)、天文七年(1538年)に浅井氏攻めの六角氏の本陣にもなったとされます。
長沢城の跡地には福田寺が移転してきたようです。元亀年間(1570〜73年)、浅井長政と織田信長の戦いには長政に味方し、湖北十ケ寺とともに住職覚芸は門徒4000人を率いて信長に抗したとされます。
湖北十ケ寺:福田寺(ふくでんじ)(長沢城)・誓願寺(米原市箕浦) 【米原市】、称名寺(尊勝寺城)・誓願寺(内保城)・真宗寺(益田城)・順慶寺(じゅんきょうじ)・授法寺・浄願寺・金光寺(こんこうじ)・福勝寺 【長浜市】

  福田寺山門                福田寺にある浅井御殿
  

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