近江/ 欲賀城



ファイルNo1751

  土塁を遠望 

@ ほしかじょう 
  別名 

A住所:守山市欲賀町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地

F遺構等:土塁・堀
G時代/人物:−−期/−−
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  浄念寺(欲賀バス停)から5分

J撮影・訪問時期:2005年03月・2007年8月

  

道案内  

名神高速道栗東インタより国道8号線に入り、宅屋(やけや)の信号で左折し県道145号線を進みます。約5Km先の金森町西の信号を過ぎ、100m先で斜め左に進み、大林町を越えて小津小学校に至ります。150m先が浄念寺(欲賀バス停)です。手前に左への路地を入り、50m先で右折し欲賀農業会館の先の個人宅裏手に土塁が残ります。浄光寺は小津小手前のバス停小津農協前の先、小津公民館側に左折して400m先で右折した角です。この浄光寺の前身は欲賀寺です。
訪城備忘録

ここの城は三度目の正直でした。個人宅の裏手にL字で高さ2mほどの土塁が残り、その土塁の外に相当埋まっていますが堀が同様に巡っています。土塁の北側は運送屋の営業所、西側は分譲住宅が十数軒建つようです。城史はよく判らないのですが、小津小学校裏手の浄光寺の説明板にそれらしい事が書いてありました。

土塁
歴史

詳細不明

【欲賀寺に関する略史】
建武元年(1334年)欲賀寺は兵火にて灰燼に帰します。無事だった薬師小像はその地に小堂を建てられ安置されました。1370年頃寺田豊前守清信が箕浦(米原近江町)より移住し、その子清通が出家し小堂を守り天台宗を学びました。晩年は、浄土真宗に帰依しました。江戸期に入り薬師像を奉還し、正式に浄土真宗の浄光寺となりました。 <浄光寺説明板より>

    堀・右/土塁   城跡遠望(奥の個人宅)
  
浄光寺

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