近江 布施山城



ファイルNo1036

古墳を利用した 布施氏の本城

            主郭土塁            

@ ふせやまじょう 
  別名

A住所:東近江市布施町
     旧:八日市市布施町

B目標地点:布施山・布施ため池・布施公園
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・竪堀・説明板
G時代/人物: 戦国期/布施氏
H満足度:
凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  布施公園裏手の布施ため池そばより20分


J撮影・訪問時期:
2005年09月・2021年09月
          2023年02月

  

道案内 ←登り口

名神高速道の竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。次の信号で右折します。600m先日野川を越えます。3Kmほど道なりに進みます。綾戸北の信号を越え、1Km先の雪野山口の信号で右折し、県道14号線に入ります。2Km先の東出の信号で左折し県道13号線に入ります。4Km先の近江鉄道手前で県道は左折し、すぐ名神のガートをくぐります。1.4Km先の布施神社そばの布施の信号を左折し、300m先の布施公園に向かいます。公園の駐車場には入らず公園の右側側道を山側に向かいます。(歩行者・自転車優先道路です) 山裾でT字ですので左に100mほど行きますと左側が布施ため池です。この右側に小さな石仏があります。この横から山に入ります。2021年時点では登山道は整備されてます。
 
訪城備忘録

2021年、久しぶりに寄ってみました。登城道が整備されてました。山に入ってすぐ右手に古墳(玉緒山古墳)があります。その上に進むと左手に平坦地があり平木屋敷の標識が立ちます。登城道は途中に展望台的場所もありますが、中間地点は藪状態になってました。何カ所かに後何メートルという標識が立ってます。城跡は主郭とその下の副郭の二つの郭です。昔に比べ木の伐採、草刈りがされており、見やすくなってます。主郭は古墳を利用したものです。周囲斜面に竪堀があるんですが 夏場は藪で判りにくいです。副郭・主郭共に土塁が巡ります。副郭の土塁は低いですが、主郭の土塁は少し高いです。平木屋敷と同じ標高の奥まったところに謎の三段の石垣と平坦地があるようです。案内板には「山麓居館跡」とされます。行ってみましたが、よくわからず断念しました。 布施館は布施集落内の布施公民館周辺と背後の畑が居館と言われますが遺構は無いです。

<2005年記述>
山へ谷筋を登ります。山に入ってすぐ右手に古墳がありました。さらに奥へ登りますと、左手に削平地が何段かあります。家臣屋敷とされています。さらに登ります。前は道が無く直登、藪漕ぎでしたが、今は登山道がしっかり整備されてます。ただ、9月だと途中に藪状態のところがありますし、黄色スズメバチを見ましたので注意が必要です。城跡は上段と下段の二つの郭でした。方形というより主郭は30mほどの円形、下段の郭は直径40mほどの半円の郭でした。双方の郭とも低い土塁を周囲を巡っていました。主郭から下の郭への斜面切岸に大きな石が散乱しています。それも加工した長方形状の大石も見受けられます。これは主郭は元々古墳だったようです。古墳を潰して主郭とし古墳の石材は下の郭から主郭に上がるスロープと虎口に使われたようです。私は南側から登ってきたことになりますが、南側に竪堀は確認できませんでした。北側には竪堀らしい窪みが一条確認できます。城跡は麓か見ていた山の形から想像していたより広い郭を持っていたという印象ですが、夏場という事で草木が茂り見難い上に、くもの巣に蛇君で倍疲れた思いです^^;

歴史
麓登山口

佐々木六角氏の家臣の布施氏の居城です。観音寺城の淡路丸というのは布施淡路守の屋敷跡です。布施三河守は永禄十一年(1568年)の織田信長の近江侵攻の際、この城に籠もり戦いましたが敗れて廃城となりました。


主郭虎口     主郭土塁
主郭全景
副郭全景
現地説明板より
現地説明板より
副郭虎口と説明板     主郭切岸と説明板
  
城跡遠望(中央の山)
主郭よりの眺望
登城道途中よりの眺望
麓の古墳         登城道           切石
平内屋敷         登城道      登城道と標識 
副郭から主郭方向
副郭土塁 
主郭虎口と土塁
主郭標識
主郭土塁(左端は搦め手虎口の標識)
主郭の池跡と土塁
現地説明板
山腹地図
山腹斜面
2005年当時
副郭より主郭切岸     主郭内

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