近江/ 音羽野城



ファイルNo0838

                            

@ おとわのじょう 
  別名  −−−−−

A住所:甲賀市土山町瀬ノ音
    旧:甲賀郡土山町
 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・庭園・石碑・説明板
G時代/人物: 室町期/音羽野氏 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  妙楽禅寺そばから15分

J撮影・訪問時期:2004年03月
         2021年01月 他

  

道案内 

国道1号線旧土山町役場前の信号(現在は甲賀市土山支所)の信号を北に入り県道9号線を進みます。野洲川の青瀬橋の手前右手の丘の先端麓に城址碑と説明板があります。その奥に昔はなかった林道があり、この林道のゲートを入ります。坂道を登り、左にカーブしているところの左側に小さな神社(祠)があり、林道が平坦になり、100mほど進んだ左手が城跡です。
 
訪城備忘録

城跡は北に野洲川が流れる丘の先端にあります。基本は単郭方形ですが大きな主郭(東西50mほどありそう)です。主郭は北側を除く三方向に堀があり、南西側と南東側の平虎口があります。南東側の虎口は土橋も明瞭です。堀の外側も平坦地が続き郭跡のような感じです。主郭には土塁が巡りこれも分厚く高さも2mほどあります。北西側に庭石のような石がゴロゴロしており庭園跡と思われます。

城址碑
歴史

文明年間(1470〜1486年)に頓宮四方介利盛が音羽野村を領した後に築城し頓宮城より移り住みました。 それ以来、当城に住み代々継ぎましたが、元亀元年(1570年)、頓宮因幡守守孝の時に、近江の守護職佐々木六角氏没落した際に織田信長に従いましたが、天正十三年(1585年))豊臣秀吉によって改易されました。 音羽野城の位置は、現青瀬橋の南東の小高い丘上にあって、現状は松、杉等の混植林となっている。本丸跡と考えられる地点には庭石などの残され、内堀・外堀も原形をとどめています。  <現地案内板より  土山町教育委員会>


堀と土塁
西側堀と土塁
南側堀
南側堀と土塁
南側虎口から土塁
主郭と土塁
主郭と土塁
東側虎口の土橋
東側堀
東側堀
東側虎口
北側土塁
庭園跡と思われる
西側隅土塁
  
堀        庭園
虎口土塁     堀
  堀      土橋と堀

近くの城・関連の城: 頓宮城 土山城 ※