近江 脇坂屋敷



ファイルNo0824

   生誕碑 

@ わきさかやしき 
  別名  −−−−−

A住所:長浜市小谷丁野町
    旧:東浅井郡湖北町丁野

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:寺・墓地

F遺構等:石碑・説明板
G時代/人物: 室町期/脇坂氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2004年04月

  

道案内  

北陸高速道長浜インタを下り、県道37号線を東に進みます。3Km先の国道東上坂の信号で左折し国道365号線に入ります。約7Km先須賀谷温泉入口の標識を越えると右手に小谷城の標識があり、ここより300m先が郡上南の信号で、さらに約700m先に「脇阪屋敷」の案内標識が国道沿いにありますので、それに従い右手方向に進み山を若干登ります。
 
訪城備忘録
産湯の池

屋敷跡にはなにも遺構らしきものはありません。ただ神社跡の横にある池は安治の産湯の池との言い伝えがあるそうです。(ほんまかいな^^;;)


神社跡
歴史

脇坂甚内安治は天文二十三年(1554年)にこの地で生まれました。その後、浅井長政の家臣脇坂安明の子で養子と言う説もあります。安治は浅井氏滅亡後は羽柴秀吉に属し、賎ケ岳七本槍の一人と数えられ、関が原の戦いでは途中より東軍に属し、伊予大洲五万三千石を賜り、寛永三年(1626年)に73歳で没しました。子孫は龍野城主として明治を迎えました。

  

近くの城・関連の城:小谷城