近江/ 佐治城



ファイルNo0748


             マス池(堀跡)               

@ さじじょう 
  別名 

A住所:甲賀市甲賀町小佐治
    旧:甲賀郡甲賀町

B目標地点:安楽寺・愛宕山
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・説明板
G時代/人物:鎌倉期/佐治氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分
J撮影・訪問時期:2000年01月・2001年09月
             2021年02月 他

  

道案内 

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進み右折してから900mで水口新町の信号です。水口岡山城の麓を過ぎた新町より、1Km先の信号が国道307号線と交差する山川橋の信号です。山川橋の信号から1.7Km先の新岩上橋北の信号で右折し県道126号線に入り新岩上橋で野洲川を渡ります。700m先で道は二股になり、右手が県道126号線です。(左手は県道528号線です)1.8Km先の佐治小学校前の信号で(左角が佐山小学校)左折し県道127号線に入ります。800m先の小佐治公民館付近で左折し中腹の常楽寺を越えてさらに奥に入ります。山頂部は牧場となっておりこの周辺が城跡です。 

訪城備忘録

城跡の大半は牧場の放牧場となっていたようで、堀跡といわれるマス池、その背後に土塁の痕跡、東側にも土塁の痕跡がありますが、土塁についてはどこまで遺構なのかは判別できないです。マス池の奥に高台があり祠(愛宕山)がありますが、この高台下に堀切と思われる箇所もあります。放牧場の広場の南西側奥、「城殿」という標識の付いたフェンスのゲードを中に入ると土塁の痕跡風、その奥に長方形状の池がありますが、その下にわりと新しい小道がありますので、この辺も遺構かは疑問です。広場の西側、フェンスに囲まれたところ(滝谷不動明王の裏手上)も低い土塁と平坦地がありますが、これも遺構かは疑問です。佐治城中心部から谷を挟んだ南西側で滝谷不動明王手前、滝谷池の東側上に土塁を伴う遺構があります。これを仮に「佐治城西の城」としました。

説明板
歴史

康平五年(1062年)に平康国がこの地に入り、南北朝には某氏・国氏が武功を上げ、長亨の乱(1487年)では河内守が活躍しました。永禄十一年(1568年)に六角氏が滅亡後、佐治為次は織田信長に従いましたが、天正十一年(1583年)に佐治為次は豊臣秀吉によって領地没収となり、佐治一族は城に籠城して抵抗したため落城・滅亡しました。 <現地案内板より修正 >

マス池沿い土塁状    愛宕山下堀切
冬場(2000年)   マス形池   夏場(2001年)
  
東側土塁?の痕跡
マス池沿い土塁状
広場になってる城域中心部
愛宕山下堀?    愛宕山下堀切
西側尾根
城殿周辺
佐治城西の城 3710

住所:甲賀市甲賀町小佐治  目標地点:滝谷不動明王  

滝谷不動明王の手前を右手に10mほど登ると鞍部のような箇所があり、右側がそそり立ってます。そこへ登ると平坦地があり、切岸側(北側)に土塁が残ります。郭内の平坦地はわりときちんと削平されてますが、もしかしたら畑跡かもしれません。その郭から下の郭へL字に曲がるスロープ状の土橋があります。この土橋も畑地用の後世のもののようです。下の郭のさらに下にも郭がありますが、竹藪です。後世の改変はありますが、北側土塁は遺構と思われます。

道沿いの不動明王入口    滝谷池     
滝谷不動明王     集落から西の城を見る
土塁・切岸を外側下から   郭内土塁
郭内     スロープ土塁状

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