近江 北津田城+奥嶋館



ファイルNo0720

        削平地?

@ きたつだじょう  おくしまやかた 
  別名 

A住所:近江八幡市北津田町〜島町  
B目標地点:奥津島神社
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林・公園・神社

F遺構等:郭?
G時代/人物: −期/−氏 
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社から5分


J撮影・訪問時期:
2005年01月・2021年12月

  

道案内  

名神高速竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先日野川を越えた東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で右折し県道2号線(朝鮮人街道)に入ります。1.6Km先中村町の信号を越え、そこより約1Km先の音羽町の信号で左折し県道26号線に入ります。約4Km先で運河を渡り県道25号線との交差点信号を横切ります。県道25号線を越え、すぐに右折し島小学校横を過ぎ、300m先を左折し、さらに300m先の大嶋奥津嶋神社まで行きます。
 
訪城備忘録
丘陵公園

神社より南、池を挟んだ向こうの丘陵に小公園があり、ここが城跡といわれています。明確な城の遺構は感じられませんでした。

2021年再訪してみました。ご近所の方にお話を聞くと、丘陵から南側の団地までの間を字名で「城内」と言うそうです。団地の建設前に発掘調査が行われ、土塁が検出されたそうですが、今は破壊され存在しないようです。 嶋〜奥嶋の地区は京極高次が織田信長から天正元年(1573年)、所領として最初に与えられた土地とされます。なんか痕跡あるかなって思って集落内を見ましたが、無い感じです。元々は、時代は不明ですが、奥嶋館は中居氏の居館であったようです。なお、現在は丘陵公園側は立ち入り禁止になってました。

神社前の池(乳白色の色の池です)
歴史

詳細不明

京極高次は織田信長へ人質として出され岐阜で育ちました。10歳ころに奥嶋の地、五千石を与えられたとされます。

  

近くの城・関連の城: