近江 / 伊庭城



ファイルNo0712

六角重臣の伊庭氏の居城
                  城の石垣と言われています。

@ いばじょう 
  別名  −−−−−

A住所:東近江市伊庭町
    旧:神崎郡能登川町伊庭

B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:集会所・寺・宅地

F遺構等:堀・石垣・説明板
G時代/人物: 室町期/伊庭氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:
2000年10月・2017年06月 他

  

道案内  

県道2号線(朝鮮人街道)を近江八幡・安土町側から来ると、能登川の信号で左折し県道194号線に入ります。1Km先の伊庭集落の真ん中で道はL字に左折となり、200m先でT字で右折になりますが、ここを県道と反対側に左折し、川沿い進み100m先右手が城跡です。
 
訪城備忘録

方形状の居館跡が残ります。周囲を堀跡と思われる水路が城跡を巡ります。水路の石垣の一部は城跡の石垣とされます。石垣の標識は以前は木の標識だったんですが、ひさしぶりに訪ねたら石碑になってました。石垣は城というより陣屋の石垣でしょうね。

歴史

建久年間(1189年〜1198年<建久三年(1192年)鎌倉幕府成立>)に佐々木行実の四男高実が伊庭氏を名乗りこの地を領しました。永正十七年(1520年)、六角氏(高頼)と対立し伊庭氏(貞隆・貞説親子)は没落しました。元禄十一年(1698年)に旗本三枝氏が領主となりここに陣屋を構えました。 伊庭氏の宗家は湖北浅井氏に頼りましたが、分家で小浅井(近江八幡)に住み、その子孫は江戸期には伯太藩の代官を勤め、明治になって伊庭貞剛は住友財閥の重鎮となります。

  

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