近江/ 桜生城



ファイルNo0687

方形の館の土塁と堀がきれいな形で残る。

                  館の土塁と堀   

@ さくらばさまじょう 
  別名 

A住所:野洲市小篠原字桜生 
    旧:野洲郡野洲町
B目標地点:

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・畑地・雑木林

F遺構等:堀・土塁
G時代/人物: 戦国期/沢氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2001年07月・2005年12月
   2007年11月 2024年03月 他

  
裏手の堀と土塁

【道案内】 

名神高速道栗東インタを下り、国道8号線を近江八幡・彦根方面に進みます。野洲川を越え、野洲駅前口交差点を過ぎて少し行くと、登り坂となります。希望ガ丘入り口手前で、左手が甲山古墳・右手JAプロパンガスセンタとゴルフ練習場があり、そのゴルフ練習場の手前で右折しプロパンガスセンタの敷地が切れたところで右折します。ここは野洲町の銅鐸発掘場所でもあります。右折して500mほど下り道を下りた左側にあります。個人宅ですので見学には注意してください。

 


【訪城備忘録】

この城館跡は方形の土塁、堀などを今もはっきりと残ります。館背後の土塁は内側からみると5mほどありそうで外側の空堀も深く見応えがあります。土塁は東側へと廻りこんでおり、北側には現在水堀になってますが、堀も残り、西側にも土塁と空堀が確認できます。館城でこれほど残っているのもこの辺では貴重と思えます。そして、今もご子孫がお住まいになられているのもすごいです。

2007年11月、土塁の木々が伐採されてました。
2018年再訪時には東側の土塁の一部が削られてなくなり、新屋を建てておいででした。
2023年12月、東側の土塁がすべて削られて無くなってました。また、裏手の土塁外の空堀は藪化してしまい入ることはかないません。
2024年03月、現況を撮影してみました。

【歴史】

永禄年間(1556〜1569年)に沢弾正少弼清光が築城し、文禄二年(1593年)に廃城になったようです。



  
  
土塁
  
水堀(2005年)
  
土塁の木々が伐採されてました(2017年11月)
  

近くの城・関連の城:三上館 井上氏館(鏡城)

          

手前土塁 後方館跡
北側水堀を東側から
北側の西側から
西側土塁
裏手から土塁と空堀(竹藪がきつい)