近江/ 上永原城



ファイルNo0683

           二の丸発掘現場(後方は祇王小学校)   

@ かみながはらじょう 
  別名 永原城

A住所:野洲市上屋 
   旧:野洲郡野洲町
B目標地点:祇王小学校

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:学校・畑地・宅地

F遺構等:碑 発掘調査(堀・土塁)
G時代/人物: 室町〜戦国期/永原氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2001年12月

  

道案内  

名神高速栗東インタから国道8号線で来ると野洲市小篠原の信号で左折し300m先でJR東海道線の陸橋を越えると久野部の信号でこれを右折し県道2号線に入ります。2Km先永原の信号を右折して2本目を左折した先が祇王小学校です。

 
訪城備忘録

城跡は祇王小学校一帯です。小学校敷地内の体育館の前に「永原城址」と刻まれた城址碑があります。2001年に二の丸跡が発掘調査されました。2006年現在では住宅が建ち、遺構を見ることはできません

歴史

佐々木氏の支族の永原氏の居城です。 元々、馬渕氏の家臣であったようですが、その後、六角氏の直臣となったようです。この城は100m四方の郭が四つ連結された大きな平城であったようです。過去の発掘調査では石垣も検出されたようです。永原には織田信長の家臣の佐久間信盛が在城してましたが、これは永原城なのか小堤城山城なのかはよくわかっていません。信長公記にはたびたび信長は永原に宿泊したとの記述があります。 以前は、永原御殿周囲が永原城であって、ここは上永原城と区別されてましたが、近年の説では上永原城が永原城だと言われているようです。

発掘現場
  
発掘現場        城址碑

近くの城・関連の城:永原御殿 小堤城山城 古城山城(岩倉城)