近江/ 芦浦観音寺館



ファイルNo0669

寺ではありますが、構えは城郭作りです。

          芦浦観音寺表門

@ あしうらかんのんじやかた 
  別名 

A住所:草津市芦浦町363−1 
B目標地点:芦浦観音寺(国指定)
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺・畑地

F遺構等:石垣・堀・移築書院(非公開)・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期〜江戸期/−−氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:2001年5月・2005年3月
         2017年11月
(2021年04月)

  

道案内  

名神高速栗東インタを下り、国道1号線を草津・大津方面に進みます。インタより2つ目の信号の上鈎(かみまがり)の信号で右折し県道31号線に入ります。3Km先でJR東海道線の陸橋を越え、さらに3Km先(花園・駒井沢町の信号を通過)の志那中町の信号で右折し県道26号線(通称浜街道)に入ります。信号より1.5Km先の芦浦町の信号で右折し300m先左手が芦浦観音寺です。
 
訪城備忘録
土塁と石垣

お寺の内部は非公開(予約制)のため入れませんでしたが、周囲は水堀が巡り、石垣及び桝形門はまさに城郭そのものです。(野洲の永原御殿の建物が書院として残っていますが非公開のため予約するか春秋の各1日ある一般公開に足を運べば見学できます。)。)

<2005年3月追記>
観音寺の周囲の堀が整備されつつあり、木も伐採され土塁や石垣が見やすくなっていました。

<2017年11月>
秋の一般公開に行ってみました。書院、阿弥陀堂などの重文の建物の見学と、毎回変更される寺の秘蔵品の見学ができます。周囲を巡る土塁は内側も石垣でした。

<2021年04月/三大神社の藤が満開でした>
表門
歴史

観音寺は天台宗の寺院です。観音寺は聖徳太子が開基し、秦河勝が建立したと伝えられています。延暦年間(728〜806年)に最澄が比叡山に延暦寺を創立、観音寺は湖を隔て山門に対する巽の守りとして天台宗に属しました。応永十五年(1409年)、僧の歓雅(初代)が再び観音寺を中興しました。その後、観音寺は、享徳年間(1452〜54年)に室町幕府より湖上管船奉行に任じられて寺領560余石をうけました。以来、室町・桃山・江戸と111年に渡って湖上船管理にあたりました。八代賢珍は信長とも結び、船奉行になっています。九代住職詮舜は、織田信長の比叡山焼き討ちにより、一堂も残らなかった比叡山の復興に努めた功績を賞えられています。天正年間においては豊臣秀吉の知遇を受けました。当時の住職は一城主の地位に置かれ、代官近畿社寺営寺奉行・湖上管船奉行等を兼任しました。領地も近江・大和に4万余石を得て境内も土塁・石垣・堀を巡らして、寺門には砦楼を築きまさに城郭と言えます。その後、代々徳川幕府にも舟奉行として重用されました。しかし、貞享二年(1685年)に観音寺は代官・船奉行を罷免され、(要は改易みたいなもんらしい) 寺は江戸に移転させられ、寛永寺に明王院として存続します。 この年(貞享二年)に永原御殿の書院が移築されています。 <現地案内板・資料より>

観音寺の周囲の堀と土塁(石垣)
  
書院( 永原御殿からの移築 重文)
書院内部
書院内部
書院内部
書院から石垣土塁           書院
土塁・石垣
阿弥陀堂(重文)
聖天堂           境内の紅葉
聖天堂の変わった鬼瓦 ダイコンです。 大聖歓喜天というらしい
表門
表門
三大神社   草津市志那町

近くの城・関連の城:永原御殿