近江の城011  

                                                                               

石部城  0842
境内

石部城切岸??
A湖南市石部中央2丁目  旧:甲賀郡石部町
B善隆寺   名神高速道栗東インタから国道1号線で鈴鹿峠方面に進みます。7Km先、石部口の信号で右折し、1Km先左手が善隆寺です。

C丘城  F遺構等:なし G戦国期/三雲氏・石部氏
H満足度:凸

文明年間(1469〜87年)に三雲氏が築き、享禄年間(1528〜32年)には青木秀正・石部家長父子が居城したとされます。近江守護六角氏は、ここを本城観音寺城の奥の城とし、たびたび石部城に寵城したとされます。長享元年(1487年)の鈎の陣の戦いでも、六角高頼は将軍足利義尚に攻められ、石部城へ立て籠もりました。また、永禄十一年(1568年)には織田信長の侵攻で観音寺城を放棄した六角承禎、義覧父子はここに逃れました。しかしながら、天正二年(1574年)に佐久間信盛に攻められ、六角父子は脱出しますが、石部城は落城しました。
J訪城:2004/07
 ※
  
六地蔵城  1757
福正寺
旧大角家和中散本舗住宅
A栗東市六地蔵  旧:栗太郡栗東町
B福正寺

名神高速道栗東インタを下り、料金所を出て最初の斜め左に下りて、信号を右折し県道55号線に入ります。200m先の手原東の信号を斜め左に行きます。1.4Km先の葉山東小を越え、200m先で左折し、すぐ右折し旧東海道に入ります。200m右手が和中散本舗、400m先左が福正寺です。
福正寺一帯が城跡と伝わりますが遺構はありません。本丸などの字名が残るのみです。 福正寺のそばにある和中散本舗は江戸時代に草津宿・石部宿の中間にあって、東海道の休憩所の役割を持っていた住宅で、道中薬「和中散」という薬を売っていた大角弥右衛門の店鋪兼住宅です。徳川家康が永原御殿(野洲市)で腹痛をおこした際、この薬を服用してすぐに治ったことから、有名になったとされます。建物は、寛永年間(1624〜44年)の建物がそのまま残っていて重要文化財であり、庭園は小堀遠州作といわれ、国史跡です。

C平城 F遺構等:なし G室町期〜/高野氏 
H満足度:凸

築城時期・築城者は明らかではないようです。南北朝時代には六角氏の家臣高野氏の居城、その後、青地氏の家臣の林氏の居城であったようです。

J訪城:2007/08
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草津宿本陣  1179<番外> 
A草津市草津1丁目
B

名神高速道栗東インタから国道1号線を大津方面に進みます。5Km先、草津3丁目の信号で右折し、500m先の立木神社前の信号で右折します。600m先の左手が本陣です。一方通行ですし、近くに駐車場もありませんので、草津駅周辺の有料駐車場に駐車して、商店街を歩いて行った方が無難です。愛知県豊橋市の二川宿本陣とともに、数少ない東海道の現存本陣です。一部建物が膳所城の浜御殿の移築とも言われてましたが、違うようです。

C−−
F遺構等:現存本陣・碑 
G江戸期/ 
H満足度:凸・番外

東海道五十三次の江戸から数えて五十二番目の宿場町草津宿の本陣であり、寛永十二年(1635年)に設置され、明治三年(1870年)に至るまで続きました。

J訪城:2005/11
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