近江の城006/  

                                                                               

鯰江城  0798
城址碑

暗渠
A 東近江市(旧;愛知郡愛東町)鯰江 B  C丘城
名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で左折し国道307号線に入り1Km先で愛知川を春日橋で渡り、橋より400m先の妹南の信号で左折して県道217号線に入ります。1Km先右手道沿いに城址碑と説明板があります。城址碑周囲に遺構らしいものは見当たりません。城址碑のもう少し北側(西側)の段丘の上に土塁が残っているという話もありますが確認できていませんでした。集落北側の処理場内に発掘調査で確認された水路の暗渠の石組が展示されています。

F遺構等:土塁?・碑・説明板  G戦国期/鯰江氏  H満足度:凸+   築城時期は定かでは無いようですが、森氏・鯰江氏が在城しました。永禄十一年(1568年)の織田信長の近江侵攻で観音寺城を追われた六角承禎父子を鯰江貞景らがこの城に迎えるため改修したようです。その後、織田信長の近江平定に抵抗しましたが、天正元年(1573年)に織田信長の命を受けた柴田氏、佐久間氏、丹羽氏、蒲生氏は、周囲に井元城など砦を築き攻撃し、鯰江城は落城しました。<現地案内板より>


J訪城:2004/07
  
近江永源寺・山上陣屋  0766
説明板
A東近江市(旧;神崎郡永源寺町)山上 B紅華橋  C平城   名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で国道307号線を横切ります。5.5Km先の山上小学校前の信号を左折し、200m先の紅華橋の袂に陣屋の説明板があります。陣屋は説明板の向かいの信用金庫から銀行までのあたりにあったようですが、今は何もありません

F遺構等:説明板  G江戸期/稲垣氏  H満足度:凸   元禄八年(1695年)に稲垣氏(稲垣重定 一万三千石)の所領となりますが、陣屋が建てられたのは寛政六年(1794年)の稲垣定淳の時でした。<現地案内板より>


J訪城:2005/04
   

近江永源寺・山上城  0765
城址碑
A東近江市(旧:神崎郡永源寺町)山上  B安養寺  C丘城
名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で国道307号線を横切り、そのまま国道421号線を進みます。5Km先の左手に安養寺がありここが城跡です。安養寺手前で左折し坂の途中の寺の山門前に城址碑と文字が消えかかってほとんど読めない説明板が立っています。


F遺構等:碑  G室町期/小倉氏  H満足度:凸+

愛智郡小椋(現:東近江市(愛東町)小倉)に平安末期より小倉城を本拠とした小倉氏一族の城です。小倉氏は室町中期に分裂し山上城を居城とする小倉氏は西家と呼ばれるようです。


K関連の城:小倉城 佐久良城 和南城


J訪城:2005/04