加賀/ 那谷城



ファイルNo1956

城域には寺の入口で許可をいただいてください。

                               空堀  

@ なたじょう 
  別名 

A住所:小松市那谷町
B目標地点:那谷寺
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・寺

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:南北朝期/富樫氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  那谷寺前から20分

J撮影・訪問時期:2008年09月

  

道案内 

加賀方面から来た場合、国道8号線の分校の信号で右折し県道43号線に入ります。1.4km先のT字で左折し県道11号線に入ります。500m先のY字を斜め右に入り400m先で右折した先、または、T字から800m先の那谷の信号で右折し、500m先が那谷寺前です。那谷寺を前に左手丘陵が城址です。
 
訪城コメント

私は那谷寺に入り(拝観料500円)本堂が左手、三重塔が右手を進み、奥の池のところの左手から丘陵を登りました。南側の郭はよくは割らず途中に大きな円形のくぼ地が二つ並んでいる箇所がありました。資料では貯蔵庫かと書かれてありました。北に進むと大きな堀切があります。現在は道として使われ、右手に下りると墓地に、左手に下りると那谷寺境内に入ります。これを越えると浅い堀切がもう1条あって、道が作られて堀切は半分破壊はされていますが土橋は残っています。北に上ると主郭と思われる郭です。ここには貯水タンクが建っています。さらに郭は北西と西にY字で伸びますが、この主郭から北東下に明瞭な空堀が横たわっています。北西の郭先端につながり。ここにも堀切が残っていました。帰りは中央の堀切道で那谷寺内に戻りましたが、ここに「立ち入らないでください」の看板がありました。知らずに入りました。お詫申し上げます。ただ、地元の方の情報では、寺の受付で許可をいただいて入れるとの事です。

遠望
歴史

南北朝の頃、延元元年(1337年)に新田義貞に攻められ、富樫高家が防いだとあるようで、富樫氏の拠点の城のひとつであったようです。戦国に入り、富樫氏が一向一揆に滅ぼされると、この城は一向一揆の城として存続したようです。しかし、天正八年(1580年)の織田信長方柴田勝家の侵攻で落城したようです。


中央の堀切                     空堀

    北側の堀切              中央の二重堀切(浅い)と土橋

南の郭の円形の大穴                   那谷寺本堂  

  

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