加賀/ 鳥越弘願寺



ファイルNo1918


          土塁  

@ とりごえぐがんじ 
  別名 

A住所:河北郡津幡町鳥越
B目標地点:大国主神社
C形式:平城(城郭寺院)  D比高:10m 
E現況:神社・宅地・畑地

F遺構等:郭・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/一向一揆
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館から2分

J撮影・訪問時期:2008年07月・2024年04月

  

道案内 

北陸自動車道の金沢東インタから国道8号線に入り富山方面に進みます。約18km先、国道8号線バイパス刈安インターを下ります。下の刈安北の信号で左折し県道218号線に入ります。約3.5km先の角が床屋の十字路を右折し約50m先を左折し、約50mほど先の左手が神社です。(説明板が入口にあります。) すぐ先の右手に公民館があります。
 
訪城備忘録

大国主神社の南側から西側にかけてL字に分厚い土塁が残ります。この神社から東側・北側・南側に寺域があったようです。最後の左折すぐに小さな土塁痕、右手民家の裏に丘のような雑木林がありますがこれも土塁との事です。土塁の上には弘願寺頃からの大木が残っています。城域の西側は丘の頂部になっていて見張り台でもあったかという平坦地になってます。

大国主神社
歴史

寺は観応元年(1350年)に本願寺の玄頓にて創建されたとされます。その後、長亨二年(1488年)の加賀一向一揆の頃には城塞化していったものと考えられます。天正八年(1580年)に織田信長勢の佐久間盛政に攻められ焼亡したと伝わります。


土塁の上の大木        神社から集落を見る
  
東側土塁
南側土塁
西側斜面
西側頂部の平坦地
左土塁   虎口    右土塁
   説明板    東側先端土塁

近くの城・関連の城:笠野鳥越城