加賀 小松城



ファイルNo1161


      天守台(櫓台)石垣

@ こまつじょう 
  別名 

A住所:小松市丸の内町 
B目標地点:小松高校・小松市役所 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:高校・公園・宅地 

F遺構等:郭・石垣・移築門・説明板 
G時代/人物:天正期〜/若林氏・丹羽氏・前田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2000年04月・2014年10月
     2022年04月・(2022年11月)

  
船着場石垣

【道案内】  ←天守台の位置

北陸高速道小松インタを下り、右折し県道25号線に入り、1.6Km先の城南町西の信号で左折します。国道360号線を1.6Km進み県道101号線との信号の京町の信号を左折します。200m先の京町北の信号で左折し150m先の小松市役所前で右折、小松公会堂、市立図書館、芦城公園を右手に見ながら300m進むと小松高校です。高校前で左折し50m先で右折し進むと突き当りが少し小高い公園状になっていてここに天守台があります。 (あるいは、国道305号線(旧:国道8号線の)上小松の信号を入り、1.2km先で北陸線を越え、700m先の小松市役所前の道で右折すると、その先が小松高校前です。)



【訪城備忘録】

城は各郭が浮島如くであったようで、天守台(櫓台)が残る周辺が本丸、現高校の校舎のあたりが二の丸、芦城公園周辺が三の丸でしたが、城域のほとんどが市街化で消滅していますが。奇跡的に小さいですが切込みはぎ積み石垣で完成度の高い天守台(櫓台)石垣、その下、船着き場の石垣の一部が残ります。天守台(櫓台)には三階櫓が建っていたものです。天守台(櫓台)は市役所前より右手に入り高校敷地の奥まったところにあり、春に天守台(櫓台)の周りには珍種の白いタンポポが群生しています。また、園町チ(〜大川町1丁目)の来生寺に鰻橋御門が移築されています。 

【歴史】

築城時期は定かではありません。一向一揆の砦であったのが最初のようです。天正四年(1576年)には一向一揆方の若林長門守が在城したとされます。天正七年(1579年)に柴田勝家の攻撃で落城し、織田信長の命で村上頼勝が城主となりました。 慶長三年(1598年)に頼勝は越後に移封となり、豊臣秀吉の命で丹羽長重が城主となりました。慶長五年(1600年)の関が原の戦いで長重は西軍に与したため、東軍の金沢城主前田利長と合戦となりました。丹羽氏は改易となり前田氏の所領となって小松城は金沢城の支城となりました。寛永十六年(1639年)、三代前田利常の隠居城と決め、幕府より元和一国一城令でも例外として小松城は存続をゆるされ、現在の天守台(櫓台)などが構築されたようです。城は万治元年(1658年)まで改修され、浮城のごとくの縄張りでした。利常死後は江戸期を通じて城代が置かれました。


本丸碑

  
  
  
往時の縄張り(現地案内板より)
天守台(櫓台)
天守台(櫓台)
天守台(櫓台) 2014年
天守台(櫓台)
天守台(櫓台)
船着き場石垣
船着き場石垣
移築門
移築門
浅井畷古戦場

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