岐阜の城10  

                                                                               

府中城  1774
安立寺

美濃国府碑
A不破郡垂井町府中
B安立寺
大垣方面から国道21号線で来ると、御所野の信号で右折し県道257号に入ります。200m先でJR東海道本線を陸橋で渡ると道は左カーブし100m左手に垂井の泉があります。さらに300m先で御幸橋を渡り、750m先右手が安立寺です。「堀之内」という字名があるようですが、城郭の痕跡はまったくないようです。安立寺そばに美濃国府の碑と説明板が立っています。

C平城
F遺構等:なし
G−−期/−−氏 
H満足度:凸
詳細不明
J訪城:2005/09
  
関が原の戦い/吉川広家陣 1775  0906関が原関連
説明板(後方は公民館)
南宮大社
A不破郡垂井町宮代
B不破高校
大垣方面から国道21号線で来ると、宮代の信号から1.2Km先(朝倉口の信号から800m手前)の御所野の信号に大きな「南宮大社入口」の看板がありますので、ここを左折します。大きな鳥居を越えて750m先の南宮大社の駐車場のところで右折します。800m先の左手が不破高校です。この先の公民館と道との間に陣所説明板が立っています。陣所はもっと奥の山側か、公民館の西側の高台(現在墓地)ではないかと思いますが、定かではありません。

C丘城
F遺構等:説明板
G戦国期/吉川氏 
H満足度:凸
慶長五年(1600年)の関が原の戦いの際、吉川広家が陣を置いた場所です。南宮大社は美濃一ノ宮です。関が原の戦いの際に兵火で焼失し、徳川家光の時代に再建されたものです。

J訪城:2007/09
   
浅野幸長陣  1970 0906関が原関連
一里塚/陣跡
A不破郡垂井町
B垂井一里塚

C丘城
F遺構等:土塁?・説明板 
G戦国期期/浅野氏 
H満足度:凸
慶長五年(1600年)の関が原の戦いの際、浅野幸長が陣を置いた場所です。池田輝政・山内一豊らと南宮山の毛利勢に備えたものです。
J訪城:2008/09