岐阜の城002  

                                                                               

笠松陣屋  0454
陣屋跡の小公園

② 羽島郡笠松町県町 ③八幡神社そば  ④平城
名神高速道岐阜羽島インタを下り、県道46号で羽島市方面へ進みます。2Km先の竹鼻町大西の信号を斜め右折して県道151号に入ります。6.1Km先の柳津小学校前の信号を右折し県道154号線に入ります。3Km先の木曽川橋の橋詰、木曽川橋西の信号を右折し県道177号線に入ります。県道は400m先で土手を下り左折しています。800m先左手に八幡神社(秋葉神社)がありますが、手前を右折し路地を進むと右手に陣屋跡があります。笠松競馬場のすぐそばという感じのところです。


⑦遺構等:碑・説明板  ⑧江戸期/幕府直轄領陣屋  ⑨満足度:凸

寛文二年(1662年)に名取半左衛門長知が陣屋を置きました。その後、200年の間幕府直轄領の役所として続きました。明治になり笠松県の県庁として使用されました。  <現地案内板より>




⑪訪城:2004/07
  
柳津城  0458
光沢寺
竹腰摂津守の碑

② 羽島郡柳津町本郷2丁目 ③光沢寺  ④平城
名神高速道岐阜羽島インタを下り、県道46号で羽島市方面へ進みます。2Km先の竹鼻町大西の信号を斜め右折して県道151号に入ります。6Km先の北塚も信号を右折します。700m先の町役場を越え100m先の路地に左折し150m行ったところが光沢寺でここが城跡です。

⑦遺構等:説明板  ⑧戦国期/竹腰氏  ⑨満足度:凸

戦国期に竹腰摂津守が城主でしたが、弘治二年(1556年)に討死したため、叔父の成吉摂津守が城主となり、斉藤義龍、龍興に属しました。 <現地説明板より>

⑪訪城:2004/07
   
竹鼻城   0477
城址碑
②羽島市竹鼻町2624-1  ③羽島市歴史民族資料館 ④平城
名神高速道岐阜羽島インタを下り、県道46号で羽島市方面へ進みます。1.8Km先の信号を右折して300m先の信号を左折して500m先を左折、さらに次の十字路で右折すると右手が羽島市歴史民族資料館です。ここに碑と説明板があります。城址は市街化して遺構らしいものはないようです。従来、城址は資料館より西側(名鉄羽島線・竹鼻別院付近から西)一帯とされていましたが、最近ではこの資料館付近が本丸という史料もあるようです。


⑦遺構等:碑  ⑧戦国期/竹腰氏  ⑨満足度:凸

応仁年間に竹腰伊豆守が築城したとされます。天正九年(1581年)には不破源六が城を再構築し拡張しましたが、小牧・長久手の戦いの際、豊臣秀吉勢に水攻めされ落城しました。 織田秀信が岐阜城主となって家臣の杉浦五左衛門が居城としましたが、秀信が関が原の戦い時西軍に付き、岐阜城落城、それ以後この城も廃城となりました。 <現地案内板より>

⑪訪城:2002/05