美濃 祐向山城



ファイルNo3626

齋藤道三が一時城主だった城で、齋藤竜興が逃げ込んだ城

              堀切を横から              

@ いこうやまじょう 
  別名 

A住所:本巣市文殊
B目標地点:文殊の森
C形式:山城  D比高:290m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀
G時代/人物:鎌倉期?/藤崎氏?
H満足度: 凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  文珠山駐車場より70分 
  法林寺城より尾根上20分
 

J撮影・訪問時期:2020年01月

  

道案内 

国道21号線で岐阜市方面から来ると、長良川を瑞穂大橋で渡り、900m先の朝日大学口の信号で右折し県道23号線に入ります。5Km先の信号で直進し国道157号線には入ります。900m先で国道303号線左折の分岐交差点がありますが直進し国道157号線をそのまま進みます。4.5Km先で県道78号線と交差します。その先1.5Kmに道の駅織部の里があります。この手前100mほどに文殊の森の案内板がありこれに従い右折します。各所の案内板に従い道なり900mほど進むと文殊の森駐車場に至ります。ここより森の案内板に従い左手方向に登ります。途中まで一般車立入禁止のアスファルト道を進み、林道終点から遊歩道を登ると山口城で、ここを経由(野鳥の森経由)で望郷の展望台に向かいます。望郷の展望台が法林寺城です。または、林道終点から砂利道の林道を進むとバードウオッチ小屋を過ぎると左に尾根に登る遊歩道があり、ここを登ると望郷の展望台(法林寺城)です。さらには、駐車場からまっすぐ進みキャンプ場を越えて急な坂道を上り、文殊峠を越えて比高230mを登りきると望郷の展望台(法林寺城)です。 法林寺城主郭から北東側尾根に下りていきます。下りると自然地形の幅広い堀切状とその右手に大きな竪堀状があります。ここから尾根を進んでいくと幅のある堀切があり、ここから祐向山城です。 

訪城備忘録

法林寺城から尾根上を進みました。城域下の尾根に至ると不完全な感じの堀切に至ります。土橋もあり、幅のある堀切です。少し登ると主郭下の堀切に至ります。この堀切ははっきりしたもので土橋も明瞭です。主郭は広い平坦地という感じでのみです。遺構としてはこの二つの堀切だけのようで技巧的とは言えません。詰め城というより見張りの城のような感じです。反対側の尾根を下りて行くと掛洞城になります。

山頂の山の表示
歴史

祐向山城は説明板には弘安元年(1278年)に藤崎十郎四郎泰綱が在城、大永七年(1527年)には斉藤道三が城主と書かれてました。 大永七年は斎藤道三(当時は西村勘九郎)が企てて、土岐政頼を追って頼芸が美濃守護となった年で、この恩賞で祐向山城主となっています。この城は永禄七年(1564年)に斉藤龍興が竹中半兵衛のクーデターで稲葉山城(岐阜城)を追われた時に一時逃れた城とも伝えられます。 永禄十年(1567年)稲葉山城(岐阜城)を織田信長が落とし、齋藤竜興は越前に逃れ美濃は織田信長が掌握した時点で祐向山城も廃城になったと思われます。

主郭手前の堀切と土橋    主郭   
尾根上からの眺望
  
尾根上の堀切を横から
 横から土橋   尾根上の堀切   上から
主郭下の堀切と土橋
主郭下の堀切と土橋

近くの城・関連の城:掛洞城