美濃 (仮)多羅城



ファイルNo3565

明智光秀出生地の伝承もある所

             主郭下横堀状               

@ たらじょう 
  別名 城ケ平 多良城 

A住所:大垣市上津石町三ツ里〜宮
    旧:養老郡上石津町

B目標地点:多良小・上石津郷土資料館
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・説明板
G時代/人物:室町期/進士氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2019年06月

  

道案内 ←城跡   ←集落側登り口  ←山側登り口

名神高速道関ヶ原インタを下り、国道365号を上石津方面に進みます。2.4Km先の牧野上野の信号で国道は右折となります。国道を道なりに進むと信号より約4Km先で上石津のトンネルを3つ越えます。トンネルを出てすぐの信号が下多良の信号で、ここより約1.4Km先の上原の信号です。信号から約600m先で斜め右に入り、約1.1km先の十字路を右折、約200m先の左手が多良小で、そこから約500m先を左折します。約400m先の集落外れに小さな祠があり、裏手のフェンスから入ります。入ってすぐに下に下りる道で、その先が小さな川のコンクリート橋を渡り、200mほど進んだ右手高台が城跡です。
(山側から回り込むと観音寺跡を越えると城域です。)

訪城備忘録

城と確定している場所ではありません。しかし、字名が「城ケ平」というそうです。現地に行くと、寺跡でもなく、畑跡でもない印象の地形です。 見た目は館跡という感じです。小さな川をコンクリート橋で渡り、坂を登ると左手に平坦地、右手に高台地形があります。平坦地は見た感じは畑地とも言えるし屋敷地跡ともいえる感じで低土塁で囲まれた感じです。右手高台下には空堀状の地形が巡ります。古道とも言えなくないですが、西から東へ半周していて、主郭地裏側下にも空堀状が認められます。高台の前面の一部が抉られた斜面になっていて城道にも見えます。そこを登ると主郭相当の平虎口状で両サイドに土塁があります。土塁は周囲を廻っているわけではなく、虎口側と西側から南側の半分くらいに土塁があり、南西角は分厚くなってました。この分厚い土塁の横の西側斜面には竪堀状の落ち込みも確認できます。主郭内は広いが印象的です。畑という事はないんじゃないどろうか。主郭の高台の西側下(川のそば)にも平坦地があり、中央に仕切り土塁のような土塁が横たわってます。明智光秀の出生地か?多羅城か?はともかくも、館城ではあったとは感じます。

大垣市のパンフレット
http://www.city.ogaki.lg.jp/cmsfiles/contents/0000042/42893/ri-fu.pdf

集落側入り口
歴史

天正年間に関一政が多羅城を築城しこの地を領したとされてましたが、それ以前に進士氏がこの地を領し、多羅城を築城したとされます。多羅城の場所は不明で、また、明智光秀は進士(山岸)信周の子とされ、この地に生まれ、後に明智光綱の養子になり明智家を継いだとされる説があり(大垣市上石津郷土資料館パンプレット参考)、多羅城のひとつの候補として城ケ平という字名を持つこの地が挙げられてます。そのほかの候補として近くに城屋敷と言う字を持つ場所もあります。

主郭下横堀状     主郭土塁
   山側入口    山側から城跡方向
  
主郭下横堀状
主郭下屈折した横堀状
主郭斜面登り道
主郭下登り道
主郭虎口・両サイド土塁
主郭虎口を主郭内から
主郭虎口を主郭内から・手前井戸??
主郭内
主郭内と土塁     竪堀地形
主郭西下      主郭西下郭土塁
主郭前面の屋敷跡?土塁
観音寺跡石碑      観音寺經塚説明板

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