信濃/ 馬籠城



ファイルNo1301

                   道沿いの説明板(背後が主郭)

@ まごめじょう 
  別名 馬籠丸山城・丸山城

A住所:中津川市山口神坂馬籠荒町
    旧:長野県木曽郡山口村
 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・説明板
G時代/人物: 室町期/−−氏 
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板より2分


J撮影・訪問時期:2006年03月

  
主郭

【道案内】

中央自動車道中津川インタを下り、国道19号線を松本方面に進みます。6Km先の沖田の信号で右折し県道7号線に入ります。県道7号線を道なりに9Kmほど進んでも馬籠至りますが、沖田の信号から右折して700mほどの木曽路口のバス停手前で左折し道なりに進んで行くのが近いかと思います。つづら折の道を5Km先で右折し落合宿の石畳(復元)を見ながら道なりに2Km進んだ荒町集落を超えたところの左手に城跡説明板があります。(あるいは県道7号線から馬籠宿の中心通りとは反対側の道に曲がって進んだ荒町手前の右側です。)



【訪城備忘録】

馬籠は市町村合併で中津川市と県を越えて合併した旧長野県木曽郡山口村にあり、妻籠とともに中山道木曽路の観光地です。城跡はそんな馬籠から少し離れた荒町集落の端の小山にあります。主郭下まで道があり、すぐ並びは荒町集落です。主郭には祠がありますが、明瞭な遺構は残っていないようです。


【歴史】

築城時期、築城者は定かでは無いようです。室町期から戦国期には砦として存在していたと推測されます。 木曽谷を支配する木曽義昌の支城として機能していたと考えられ、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いで秀吉に付いた木曽義昌は馬籠城に島崎将監重通(島崎藤村の先祖)を入れましたが、徳川方の菅沼氏・仁科氏・諏訪氏の連合軍に攻められ、重通は妻籠城に逃れたとされます。関が原の戦い以後、徳川氏の直轄領となり、元和元年(1615年)以降は尾張徳川氏の領地となり、城は廃城になったと考えられます。 <現地案内板より>

  
説明板前の道(丸山の坂)
  
  

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