美濃/ 阿木



ファイルNo0917

 二重堀切の一つ

@ あぎじょう 
  別名 安木城

A住所:中津川市阿木
B目標地点:阿木小から北西400m
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・碑
G時代/人物:室町・戦国期/安木遠山氏
           /戸田氏?・大藤氏?
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分


J撮影・訪問時期:
2005年06月・2022年05月

  

道案内   ←登り口

中央高速道の恵那インタを下り、国道19号線に出て、宮の前の信号で右折し県道407号線に入ります。約7Km先の飯沼駅を越え、さらに、約1.5km先 (約5km先、阿木地区で阿木小学校手前約1kmくらいのところ)に小さな峠越えのような箇所があります。この右手(タンクの手前)に山に入る道がありますのでここを右折します。300mほど林道を走ると道が右折します。さらに300mほど行くと右手に登り口C・Dがあります。連続堀切を越えて上に登ると主郭です。

あるいは、中津川市内のかやの木町の信号から国道363号線を進み、約10Km先の阿木小学校前の信号で右折し県道407号線に入り、約200m先で左折、県道406号線に入り、約300m先、県道は右折です。約600m先で右折し、約100m先のT字を右折、約200m先、右手が駐車場で左手がA登り口です。

または、恵那市岩村町から国道363号線を約5Km先の阿木小学校前の信号で左折です。県道407号線に入り、約200m先で左折、県道406号線に入り、約300m先、県道は右折です。約600m先で右折し、約100m先のT字を右折、約200m先、右手が駐車場で左手がA登り口です。
 
訪城備忘録

直径50mほどの円形の主郭を中心に、その下東側には三日月状の大きな二の郭があり、さらにその下には連続堀切があります。主郭南側から西側〜北側には帯郭が巡り2箇所ほど外側に土塁が残ります。この土塁が往時は半円状に巡っていたのかもしれません。そうとすれば帯郭というより横堀的になりますが、帯郭から横堀の発展途上にあった遺構なのかもしれません。(この発展遺構は近江の音羽城でも見ました。) 

さらに、西側には段郭が続いていたようですが明瞭ではありません。西側尾根には堀切が残ります。主郭の広さや西側の帯郭から東側の二の郭までの連続性から単に中小豪族の居館城ではないようですよね。

登城口
歴史

築城時期、築城者は不明ですが、南北朝期〜室町期に岩村城の遠山氏から分れた安木遠山氏の居城として築城されたと言われます。具体的な城主名は伝わっていないようです。岩村城を中心とした遠山十八支城とひとつとされ、安木遠山氏は遠山七頭とも称されます。武田氏に従った遠山氏ですが、元亀三年(1572年)、岩村城城主遠山景任が急死し、遠山氏は織田方となります。天正二年(1574年)、武田氏の進攻により落城したとされます。 また、史料には戸田甚左衛門、あるいは、大藤権允が城主と言う記録があるようですが確かでは無いようです。

西下堀切     南下土塁
現地案内板より
現地案内板より
登城道Aからのc眺望
虎口と表記される城道
虎口と表記される城道を上から
T字になっている城道
東下二重堀切(手前側)
東下二重堀切(手前側)
東下二重堀切(尾根側)
二の郭への切岸
    二の郭       二の郭と主郭の切岸
主郭
西尾根側堀切
西尾根側堀切を上から
南帯郭と土塁
南帯郭下段郭から
2005年訪城時
主郭下南側      西側堀切
東側下二重堀切

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