美濃/ 曽根城



ファイルNo0475


              本殿裏手復原石垣   

そねじょう 
  別名  −−−−−

A住所:大垣市曾根町 
B目標地点:華渓寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:寺・宅地

F遺構等:土塁・堀・石垣・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/稲葉氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:2003年07月・2008年09月

  

道案内  

岐阜市内より国道21号線で来ると、中川町の信号で右折し県道212号線に入ります。途中、県道は北方町1の信号で左折ですが、直進します。国道21号線から2.4Km先の曽根の信号で右折し900m先を左折します。300m先をさらに右折したところが史跡公園・華渓寺です。

 
訪城備忘録

正面から見ると、華渓寺のあるところは周囲より2mほど高くなっており、見るからに城という感じです。寺の前の田んぼは往時は堀であったろうと想像されます。寺の裏手には石垣がありますが、一部は本物かもしれませんが、発掘調査で確認された石垣のレプリカとのことです。また、寺の横には池があり、これも堀跡のようです。

歴史
城址碑と説明板

永禄年間(1558〜1569年)に稲葉良通(一鉄)が築城しました。西美濃三人衆と言われた一鉄は、斎藤氏から織田信長に従い、羽柴(豊臣)秀吉に従いました。子の貞通は天正十六年(1588年)に郡上八幡城4万石に移封され西尾豊後守光教が居城しました。関ヶ原の戦い後に光教は揖斐(陣屋)へ移り、曾根城は廃城となりました。

寺の前の水田(堀跡)      本丸の碑と説明板
  

近くの城・関連の城: 清水城 郡上八幡城