飛騨 高原諏訪城



ファイルNo0417


            堀切 2002年            

@ たかはらすわじょう 
  別名 旭日城

A住所: 飛騨市神岡町殿 
     旧:吉城郡神岡町
B目標地点:

C形式:山城  D比高:270m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・土塁・碑・(畝状竪堀)
G時代/人物: 戦国期/江馬氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道途中の登城口から比50m・15分


J撮影・訪問時期:2002年08月・2024年03月

  

道案内 

国道41号線の飛騨市神岡町、船津北の信号で国道471号線に曲が船津橋で高原川を渡ると国道は右折で、そのまま国道を進みます。道の駅「宙ドーム神岡」先の江馬町の信号で左折し、約100m先を右折で山麓の道を進みます。約500m先が円城寺前で、さらに約400m先で逆V左折し、県道484号線に入り山を登ります。つづら道を約2km先登ったU字カーブのところの右手に「高原諏訪城登り口」の白い道標がある所から登ります。

訪城備忘録

2002年からなかなか再訪できなかった城です。前回、主郭まで行っただけで南下、北東下の堀切などを見てなかったので再訪したかったんですが、今回、2024年は積雪で主要部以外の斜面は下りることができずでまたまた見たい所は断念でした。また、県道反対側の尾根にある尾根遺構にも行けませんでした。結果、主郭までの訪城記です。

標識のあるところから登り始めてすぐに大きな二重堀切があります。ここの城の堅堀は長いです。二重堀切を越えていったん細尾根に登ります。尾根上は細長い平坦地で東側に土塁が続きます。この尾根を過ぎると主郭北下の大きな堀切に出ます。

堀切からいったん主郭の北東下へ登って行きます。途中、堅堀があります。北東郭群を廻り込んで主郭下まで行くんですが、この北東郭の先端にもV字堀切があるわけですが、積雪で下りることができませんでした。 北東郭群の一番上の郭に入りますと主要部です。この郭は長方形な形状です。主郭下は北、東、南に帯郭が巡っています。主郭切岸はけっこうしっかりした段差です。主郭は正方形に近い郭です。ここから傘松城や江馬下館が見えます。

登ってきたところとは主郭の反対側(南東側)には大きな堀切があり、その先にも堀切がありますが、先端の堀切まで下りられていません。

この城、堀切が大きく、堅堀が麓近くまで落ちている長い堅堀が今も残ります。

歴史
城址碑








築城時期・築城者は定かではありません。少なくとも応仁の乱の後ぐらいでは江馬氏の居城であったようです。戦国期江馬氏は上杉氏と武田氏の間で揺れ動きます。時経の子の時盛が当主であった永禄七年(1564年)に、武田信玄は飯富昌景に江馬氏を攻めさせ、時盛は武田氏に従います。時盛は、子の輝盛を武田氏の越中侵攻の先手として中地山城を築き入れますが、輝盛は元々上杉氏寄りであったため、親子は不和となり、輝盛は刺客を使い父時盛を殺害します。その後、謙信が死去したため自立せざるおえない状況となり、織田信長が本能寺の変で倒れた天正十年(1582年)に三木氏と戦いますが、輝盛は敗れ、討ち死にして高原諏訪城も小島氏の手により落城しました。<資料より>


主郭北下堀切     主郭南下堀切
現地説明板より
旧:奥飛騨温泉駅からの城跡遠望
江馬下館からの城跡遠望
 2002年訪城
堀切
北東の段郭と土橋         堅堀
主郭下帯郭
  
県道沿いの登り口(標識)    二重堀切      
     二重堀切の一つ      堀切から上の尾根を見上げる
二重堀切
二重堀切
二重堀切のひとつを横から
二重堅堀(東側)
堅堀(西側)
最初の尾根上<細い郭と東側に土塁が続く> 
最初の尾根の土塁
 大堀切越しに主郭の斜面
主郭北下堀切
主郭北下堀切からの堅堀
主郭北下堀切
堅堀
主郭北東下段郭 <この先にV字堀切があるはずだが滑って下りられない>
堅堀
主郭下北東側郭から主郭方面
主郭下北東側郭
主郭下北東側郭
主郭切岸を帯郭から
主郭北下帯郭
主郭東下帯郭
主郭
主郭から傘松城(観音山)遠望
主郭南下帯郭  
主郭南下堀切 <この堀切へも滑って下りられず。この先のV字堀切にも行けず>
尾根遺構資料
地理院地図より
現地説明板より
尾根上Aの遺構 現地説明板より
尾根上Bの遺構 現地説明板より

近くの城・関連の城:

          



傘松城
@ からかさまつじょう・かさまつじょう 別名  吉田城
A住所: 飛騨市神岡町吉田  旧:吉城郡神岡町 B目標地点:観音山
C形式:山城  D比高:320m E現況:山林
F遺構等:郭・堀切・堅堀・堀・土塁  G時代/人物: 戦国期/江馬氏 H満足度: 未訪城 
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道途中の登城口から比150m J撮影・訪問時期:2024年03月
  

残雪があり、とても登ることができませんで、断念しました。東側の釜崎地区から林道がありますが、関係者以外立入禁止で一般は登れない感じです。県道477号線の神岡大橋西の信号から約200mほど南へ行ったところで斜め右手の道に入り、約500m先を右折し、約1.7km先、吉田地区の中吉田のバス停と阿弥陀堂前のバス停の中間に林道があり、中腹まで行けそうです。阿弥陀堂そばには傘松城跡遊歩道という標識があり、阿弥陀堂の横から山に向かって道がついています。城の南側から登るという感じです。 私は確認していませんが、県道477号線の神岡大橋西の信号と朝浦八幡宮の中間点の西側<山側>にある朝浦不動院にも登り口があり、標識と説明板があるようです。ここから城へは東側から登れることになります。

【歴史】
築城時期、築城者は定かではないようですが、鎌倉中期、藤原左兵衛尉国家が築城したと伝わるようです。戦国期、江馬氏が支配して大改修し、支城として機能したようです。

高原諏訪城主郭からの眺望
高原諏訪城主郭下帯郭からの傘松城の主郭遠望
坂巻公園近くから主郭遠望
遊歩道登り口 
南の林道入口     江馬下館からの遠望
東の登り口