信濃/ 松本城



ファイルNo0410

現存天守が堂々とした風格

                   内堀より天守群

@ まつもとじょう 
  別名 深志城 
A住所:松本市丸の内
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:現存天守・石垣・水堀・土塁・復元門
     ・石碑・説明板

G時代/人物:戦国期〜江戸期/小笠原氏・石川氏〜
H満足度:
凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  有料駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2001年04月・2004年05月・2011年01月・2017年11月・2021年12月

  

道案内 ←駐車場

長野高速道松本インタを下り、国道158号線を松本市内中心部に向かいます。国道19号線を渚1丁目の信号のところで横切り、松本駅そば(中央1丁目の信号)を過ぎ中央2丁目の信号で左折400m先が城跡ですが、車でしたら松本神社西側に市営の駐車場があります。
 
訪城備忘録

何度か訪れた松本城ですが、天守はいつ見てもいいですね。俗に烏城と呼ばれる黒い天守群です。天守群(天守・乾小天守・辰巳附櫓・月見櫓)及び復原された黒門(一の門と二の門(1989年復元))と太鼓櫓(一の門と二の門(1999年復元))及び石垣と天守周囲の水堀など見所ですが、その他にも市役所東側に惣堀の一部や安立寺の南側100mのところの民家裏手に土塁の一部が残ります。

2017年11月にほぼ7年ぶりに再訪、内堀端から駅まで歩いてみました。地震の影響で乾小天守が入れなくなってます。 2021年12月に再訪しました。 天守内部で工事がされてました。

城址碑
歴史

永正元年(1504年)に小笠原氏の一族の島立貞永が深志城として築いたものが始まりです。天文十九年(1550年)に武田信玄が松本平に侵攻し小笠原氏(長時)を駆逐して以後、信玄はこの深志城に注目しここを改修して松本平の支配の城としました。天正十年(1582年)武田氏が滅び、織田信長が本能寺の変で倒れると、小笠原長時の三男の貞慶が徳川方として旧領を回復しこの城を松本城と改めました。天正十八年(1590年)に石川数正が入封し、城を改修、子の康長が今の天守を築きました。江戸期に入り石川氏改易後、小笠原氏が再度入り、元和三年(1617年)に戸田康長、寛永十年(1633年)に松平直政、寛永十五年(1638年)に堀田正盛がそれぞれ城主として入り、寛永十九年(1642年)に水野忠清が入ってから水野氏が4代続きます。水野氏改易後、享保十一年(1726年)に戸田光慈が入り、戸田光則の時に明治を迎えます。

天守
天守
天守
水堀に逆さ天守
櫓・堀など
復元黒門(二の門)
復元黒門(二の門)
復元黒門(二の門)
復元黒門(二の門)
復元太鼓門
復元太鼓門
復元太鼓門
復元太鼓門
復元太鼓門
東側内堀
二の丸御殿跡
天守とアルプス
石垣とアルプス
天守鯱             天守唐破風と千鳥破風
天守(本丸より)
内堀(北側)
内堀と石垣
内堀
内堀と石垣(西側)
惣堀      市内の土塁
大手門井戸     女鳥羽川護岸石垣
女鳥羽川
繩手通りモニュメント
天守群内
狭間から
大天守内
大天守より埋橋・埋め門石垣
大天守より埋橋・埋め門石垣
大天守内部
大天守より乾小天守
大天守最上階
大天守最上階 二十六夜神
花頭窓
月見櫓内
天守台石垣
月見櫓下
天守台石垣
本丸石垣
天守
天守
天守
月見櫓・辰巳附櫓・大天守
辰巳附櫓・大天守・乾小天守
左手前は月見櫓/辰巳附櫓・大天守・乾小天守

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