松代城2  


ファイルNo0403−2

 
@新御殿(真田邸):元治元年(1864年)に建てられた邸宅で明治維新以降は
 真田家の別宅となっていたものです。
A樋口家:目付け役などを務めた樋口家は230石の禄でした。主屋・土蔵・長
 屋は修築復元のようで、主屋については、明和二年(1765年)から樋口家が
 当地に移り住んだという記録があるようで、また、文久二年(1862年)に修復
 したという記録があるそうです。門は移築され修復されたもののようです。
B文武学校:松代藩の藩校で嘉永六年(1853年)に完成、安政二年(1855年)
 に開校しました。明治維新後は学校として昭和初期まで使用されました。
C旧 白井家表門:弘化三年(1846年)に建てられた門で平成十二年
 (2000年) にこの場所に移築されたものです。
D矢沢家:藩の筆頭家老の家柄で1400石の禄の家です。表門は寛政四年
 (1792年)に建て替えられたものです。
E真田勘解由邸:二代藩主信政の子で勘解由信就を始祖とする真田家の分家
 です。
F小山田家:岩殿城の小山田信茂の系統ではなく、同じ武田氏に仕えた小山田
 備中守家の系統の家で、天正十八年(1590年)、小山田茂樹が真田昌幸に従い、
 元和八年(1622年)に真田信之が松代に転封にも従い、以後、次席家老の家柄
 です。主屋は嘉永二年(1849年)に建てられたものとのい事ですが見られま
 せん。 冠木門の横にある番所は江戸中期の建物だそうです。

その他(見学してません)武家屋敷など
  G馬場家長屋門 H八田家住宅 I横田家(主屋・表門など) J山寺家表門
新御殿(真田邸)
新御殿(真田邸)
新御殿(真田邸)
新御殿(真田邸)
新御殿(真田邸)
新御殿(真田邸)
武家屋敷 樋口家
武家屋敷 樋口家
文武学校
文武学校
文武学校
文武学校
旧白井家表門(移築)
矢沢家表門
真田勘解由邸
小山田家 (番所)
天守台(戌亥櫓) 2002年
天守台(戌亥櫓) 2006年
天守台(戌亥櫓) 2021年