信濃/ 佐久大井



ファイルNo0964

       王城公園内

@ おおいじょう 
  別名  −−−−−

A住所:佐久市岩村田  
B目標地点:王城公園
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:公園・雑木林・畑地・墓地

F遺構等:
G時代/人物: 戦国期/大井氏 
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園下県道から2分

J撮影・訪問時期:2005年08月

  

道案内   

上信越高速道佐久インタを下り、県道9号線を南に向かいます。1Km先の岩村田の信号を左折して県道156号線に入ります。500m先の県道沿い左手が王城公園です。駐車スペースがありませんので注意ください。
 
訪城備忘録
城のシンボルの楠

大井城を構成する3つの城ですが、王城は公園化されており公園内に遺構らしきものはありませんで、大きな楠があります。北側の台地(石並城側)との間に自然地形に近い堀切があります。王城の南を走る県道も往時は堀切と思われます。黒岩城は王城公園の南側の住宅地内に白山神社と今は畑になっている高台があり、この辺が城址と思われます。石並城は王城公園から北側500mほどが城域のようですが、遺構があるのか判別しにくいです。円満寺から東へ路地を進むと両サイド墓地のところに出ますが、この辺は土塁っぽい高まりが続き、道そのものが堀切のようです。

自然地形の堀切
歴史

大井城は北から石並城・王城・黒岩城を総称して大井城と呼ばれています。12世紀末、甲斐源氏小笠原氏系である大井氏は小笠原長清の七男の朝光が大井庄に入り大井氏を名乗ったとされ、石並城に居城したとされます。建武二年(1335年)の大井庄合戦で大井朝行が破れ石並城は廃城になったようです。その後、王城を城を居城としましたが、文明十六年(1484年)に村上氏も急襲を受け、大石氏宗家は滅亡しました。戦国期には大井氏の支族<依田氏系大井氏>が武田氏に属し黒岩城に居城しました。武田氏滅亡後は黒岩城の大井美作守は北条氏に属しますが、徳川家康配下の依田信蕃に攻められ、城は依田氏の支配下になった後廃城になりました。

  

近くの城・関連の城: 岩村田城