信濃/ 桐原



ファイルNo0388

          主郭虎口石垣 C

@ きりはらじょう 
  別名  

A住所:松本市入山辺桐原 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:堀・堀切・竪堀・石垣・土塁・説明板
G時代/人物: 戦国期/桐原氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登山口より45分

J撮影・訪問時期:2004年05月

  

道案内 

松本城・松本市役所近くの国道143号線城東2丁目の信号から県道67号線で東に向かいます。2.3Km先の兎川寺の信号を越え1.4Km先の入山辺郵便局・JA山辺ワイナリーのところで左折し道なりに500mほど先の北側(追倉沢)の登り口に至ります。説明板の裏手から登ります。

 (実は私は追倉沢からでなく海岸寺沢から登りました。ここは県道67号線を入山辺郵便局より400m先の桐原のバス停のところで斜め左折し東桐原の住宅団地に入りすぐ左折し北に行くと団地のはずれのぶどう畑の先に説明板が設置してあり海岸寺沢への道があります。100m程度で左に沢を渡りそこより登ります。しかし、山中に入ると道がわからなくなりほぼ直登状態でしたので、こちらからの訪城はお勧めはできません)
 
訪城備忘録

道案内の如くに海岸寺沢から登りましたが、すぐに道がさっぱりわからなくなってしまいました。最初は東方向に向かいながら登っていたものを方向を西側に変えて登り、途中で竪堀を直登してしまいました。直登はきつかったですが、深く幅のある竪堀<写真下段@>は堪能できました。尾根に登り(この辺で追倉沢からの道と合流していると思います。)、再度東側へ登りますと深くはっきりとした横堀を前面に持つ郭に至ります。尾根先端と城の主要部を遮断する横堀ですから堀切と言えるのでしょうが、形は三日月とかにはなっていませんが、前面の堀と後方の高低差のある郭と合わせて馬出し的感じに見えます。

横堀の郭側には石垣も認められます。<写真下段A> ここを過ぎると主要部の下部部分になります。主郭はまで見えてきませんが主要部上部の石垣が見え始めます。主郭上部からは石垣のオンパレードです。登山道は主郭から見た場合、南西側の尾根を登ってくるのですが、主要部の主郭下北西部にある多数の段郭はすべて石垣で固めています。<写真B>下から見上げると興奮しました。主郭は楕円形で南側に虎口を持ちます。虎口の付近はおびただしい石垣が崩れています。<写真C>往時はどんな虎口だったんでしょうか。主郭は土塁は巡り<写真D>、主郭の外側は石垣が巡り<写真F>、主郭東側にこれまた明瞭な堀切(横堀)<写真E>が残ります。主郭直下の郭は北西の段郭から・尾根上をまっすぐ登ってきた道及び主郭虎口が下ってきた所と動線が集中しています。非常に巧みな縄張りと堅固な構えを感じる城ですが、本城が放棄され、戦わずして落城したのはなんとももったいない感じの城ですが、現遺構は、後に小笠原氏がこの地方に復帰してから改修されたものなのかもしれませんね。

主郭後方堀切(横堀)E−1
歴史

寛正元年(1460年)に大甘氏の分流である桐原真智(大甘政徳の弟)によって築かれ、小笠原政康に属したとされます。(異説有り) 天文十九年(1550年)の武田氏侵攻で埴原城が落城した時点で自落しました。桐原氏が小笠原長時とともに退去後、武田信玄は遠山長左衛門にこの城を与えたとされています。

主郭内から見た土塁 D    段郭石垣群 B-1
主要部前方の郭の空堀 A   海岸寺沢の竪堀 @
  
海岸寺沢の竪堀i@−2            −
主郭北西下段郭石垣 B−2
主郭直下の郭 G    主郭下石垣 F
主郭後方(南側)の堀切 E−2

近くの城・関連の城:林大城 山家城