信濃/ 上原城



ファイルNo0379

    主郭

@ うえはらじょう 
  別名  −−−−−

A住所:茅野市ちの 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:堀・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/諏訪氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2001年11月

  

道案内   

諏訪ICを下りた正面の山に上原城が見えます。中央高速道諏訪インタを下り、国道20号線新道を越え、国道20号線四賀南神戸の信号で右折し300m先の上原頼岳寺の信号で左折し頼岳寺に向かいます。JR中央本線を越え、頼岳寺前もT字を右折し、すぐ上原城の看板があるので左折します。道なりに登っていくと板垣平を通り、さらに登ると搦め手口に大きな看板があります。
 
訪城備忘録
竪堀

実は印象が薄いんです。ここの訪城は城にはあまり興味の無い方とたまたま行ってしまったため搦め手の駐車スペースから主郭までをストレートに行き来しただけで、搦め手側の堀切についても記憶に薄いという感じですし、主郭よりの段郭についても見て廻っていませんので・・・。これじゃあ お城紹介になりませんね(泣) 

城跡南側斜面
歴史

上原城は諏訪盆地を一望できる金毘羅山頂(標高978m)にあります。遺構としては主郭・土塁。二の郭・三の郭・空堀・物見岩などがあり上原城中腹の板垣平には居館跡があります。この城は北は永明寺山を背に、北西に桑原城、東に鬼場城などをひかえ、前方南には上川や宮川を隔てて干沢城に対し、諏訪上社(本宮前宮)を見下ろた典型的中世山城です。

築城時期は定かではありませんが、文正元年(1466年)頃、諏訪総領家の諏訪信満がこの城の中腹に館を構え、上原郷に城下町を作りました。その後、諏訪氏は信満−頼満−正満−頼隆−頼重と五代七十年余りにわたりこの地を領有しましたが、天文十一年(1542年)七月、武田晴信(信玄)によって滅ぼされました。上原城とその居館は武田氏の諏訪地方統治と信濃攻略の基地とされ初代郡代として板垣信方の居館が作られました。信方が上田原の戦いで討死して以後は統治の拠点は高島古城(茶臼山城)に移りますが、城自身は天正十年(1582年)武田氏の滅亡まで機能しました。<現地案内板より 茅野市教育委員会>

横より    巨大な堀切    上から
   物見岩          居館跡(板垣平)
城址碑          諏訪湖遠望
  
現地説明板より

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