東三河の城011/ 

                                                                               

大沢城  190
A 豊川市御津町豊沢(旧:宝飯郡御津町) B秋葉神社の横  C丘城
豊橋方面から来ると国道23号線御津町入浜の信号を右折し県道31号線に入ります。(国道1号線の白鳥の信号から県道31号線を下っても行けます。) JR東海道線の陸橋を越え、豊川御津町支所(旧:御津町役場)付近の為当町市木の信号で旧県道31号に入り、さらに、次の為当町の信号で左折し、県道373号に入ります。 次の広石の信号は直進です。御津川が県道373号線の左横を流れていますが、川の流れが県道から離れる地点(広石の信号から1Km程度のところ)で川に沿って脇道に入りすぐに小さな橋を渡り河川段丘を登ると秋葉神社(西豊沢公民館)です。この辺りが城跡です。

F遺構等:土塁  
G戦国期/波多野氏  
H満足度:凸
秋葉神社の隣の敷地に道沿いに沿って土塁が残ります。
南北朝期からの波多野氏の居館です。(三河守護一色刑部少輔を討って、のち、牧野古白に討たれた波多野全慶(時政)はここの出身です。
J訪城:2004/07
西方村古屋敷 189
A 豊川市御津町西方中屋敷(旧: 宝飯郡御津町) 
C平城
豊橋より国道23号線にて来ると入浜の信号(県道31号線との交差点)の手前に西方の信号があり、これに右折し、JR愛知御津駅に向かいます。線路を越え、駅手前で右の方(東へ)へ線路と並行に進むと新しい道ができています。この道沿いに館跡があります。
F遺構等:土塁・堀・説明板  
G戦国期/森寺氏  
H満足度:凸
茂みで写真では判りませんが、土塁と堀跡が残っています。吉田城主池田輝政の家臣の森寺清右衛門忠勝の居館として作られ、江戸期は吉田城主深溝松平忠利の弟忠貞の家臣鈴木氏の居館であったとのことです。

J訪城:2004/07
鳳来高山城 879
城跡遠景(周昌院側より
周昌院山門(元禄期建立)
A 新城市玖老勢(旧:南設楽郡鳳来町玖老勢葛高山) 
Bやまびこの丘・周昌院  
C山城
新城市内より国道151号線で来ると、有海に信号で国道257号線に入り鳳来町を北上し約6Km先の長楽の信号で右折し県道436号線に入り、玖老勢の信号で県道32号線に合流し進みます。玖老勢の信号から1Km先で左手に「やまびこの丘」の看板が立っているところを左折し橋を渡り右手方向に進むと「やまびこの丘」に到達します。この背後の山が高山城です。(県道から見ると山の背後にロッククライミングの練習用タワーがそびえています。)山頂は狭く現在は展望台(東屋)が設置してあり城郭遺構は消滅していると思われます。

F遺構等:なし  
G−−期/−−氏  
H満足度:凸
詳細不明です

J訪城:2004/07