東三河の城011/

                                                                               

米福長者屋敷  0648/
土塁

A新城市高里  旧:南設楽郡作手村高里 
B 旧:作手高校グランド西側 C平城

国道301号線の作手村役場東の信号の先200mの右側(左側は作手中の手前)、、新庄東高校作手校舎(旧:作手高校)のグランドの西側付近が館跡になります。国道と作手診療所(作手高校のグランドの北側)を結ぶ路地に土塁の痕跡が残ります。土塁のある場所より南側の大きな民家の垣根沿いに祠もありますが関係はあるかな?

F遺構等:土塁  
G平安末期〜室町前期/−−氏  
H満足度:凸
奥平氏が作手を支配する前の長者(三河の三大長者のひとり)の屋敷跡と言われます。

J訪城:2005/02
  
赤坂陣屋  0201
説明板
A豊川市赤坂町   旧:宝飯郡音羽町赤坂紅里  
B音羽図書館  C平城

旧東海道を豊川方面に行くと、赤坂宿の模擬休憩所があります。裏手は音羽図書館。その一帯が江戸期の赤坂陣屋のあったところです。陣屋遺構はなにも残っていませんが、ここから国府方面には旧東海道の雰囲気のある道が続きます。A
B

F遺構等:碑・説明板
G江戸期/ 
H満足度:凸


J訪城:2002/08
   
長沢城+長沢御殿  0188 
1号線沿いの城址碑
A豊川市長沢町   旧:宝飯郡音羽町長沢古城  
B長沢小学校  C平城

音羽の旧東海道(音羽の集落を走っている道)沿いの長沢小学校及びその裏手の長沢保育所あたりが長沢御殿、その一帯を含め、国道1号線を越え、一段と高台となっている古城団地あたりまでが長沢城です。長沢御殿は長沢城のあとに江戸初期の将軍宿所として造られたものですが、現在その面影はありません。ただ、保育所裏手の国道1号線との間に空堀と井戸跡が残っているようです。長沢城の城址碑は保育所とは反対側の住宅団地の下、国道1号線沿いに建っています。

F遺構等:井戸跡・碑  
G戦国期/長沢松平氏  
H満足度:凸
松平信光(松平三代目・岩津城主)の子の親則が築城し、長沢松平氏となります。ここの松平氏では松平忠輝(養子:越後・高田城主ー改易断絶)が有名でしょうか。 寛永十一年(1634年)徳川家光の上洛の休息御殿が建てられました。

J訪城:2004/10