東三河の城006/ 

                                                                               

杉山端城  0172
城址碑
A新城市杉山端  
B国道153号線沿い  
C平城
鳳来町から豊川市に向かって国道151号線を行くと杉山北の信号の手前に城址碑が建っています。

F遺構等:石碑  
G戦国期/菅沼氏  
H満足度:凸
永禄年間に道目記城主の菅沼定氏が道目記城の支城として築いたとされます。
J訪城:2003/03
野田館  0174
説明板
A新城市豊島 B海倉橋   C平城    

豊橋市内より県道69号線を北上し一宮町を過ぎ新城市八名井を越えると豊川に調整ダムが見えます。これを海倉橋と言い、これを渡った土手下に説明板があります。(または、大野田城の前から野田城の方へ市道を進み、途中で海倉橋へ左折します。)

F遺構等:説明板  
G平安期〜戦国期/千秋氏〜富永氏〜菅沼氏  
H満足度:凸
11世紀終わりに千秋氏の祖 藤原季兼(すえかね)は長者を滅ぼし、3代清季は野田館を築いて千秋氏を名乗った。千秋氏は六代(238年)続き、次に、富永氏がここを領した。富永氏も七代(175年)続いた後、富永氏の血統が絶えたため、富永氏の養子として菅沼定則が入るが、野田城を築き移り、野田菅沼氏の初代となった。<現地説明板より>

J訪城:2004/10
新城古城  0176
城址碑・後方土塁
A新城市石田万福   
C丘城
国道301号線で新城中心地から来ると、豊川を渡る新城橋の手前の「石田万福」の信号を左折するとすぐ道は二又のようになりますので、左側に200mほど行くと右手に城址碑があります。さらに200mほど言った右手の工場の幽玄川沿いに土塁の痕跡を残します。

F遺構等:石碑・土塁  
G戦国期/菅沼氏  
H満足度:凸
天文元年(1532年)菅沼定継が築きました。定継は大谷城を居城とし、ここに新たに城を築いたことで、この城は新城と呼ばれ、現在の新城の地名の起こりとなりました。

J訪城:2004/10