東三河/ 双瀬村古屋敷



ファイルNo0881

                道沿いの石垣    

@ ならぜむらこやしき 
  別名  −−−−−

A住所:新城市副川
    旧:南設楽郡鳳来町海老副川立谷
 
B目標地点:釣月寺
C形式:丘城  D比高:50m 
E現況:民家

F遺構等:郭・石垣
G時代/人物: 戦国期/林氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:2005年05月

  

道案内 

新城市内より国道151号線で来ると、有海に信号で国道257号線に入り鳳来町を北上し約6Km先の長楽の信号で右折し県道436号線に入り、玖老勢の信号で県道32号線に合流し進みます。玖老勢の信号から3Km先で右手に「釣月寺」の石碑が建っているところ(双瀬のバス停の300m先)を右折し400mほど山道を登ると釣月寺の石段と石碑が左手にあります。この石段の右手の民家が屋敷跡です。
 
訪城備忘録
石垣(東側より)

釣月寺までの山道沿いにあり民家にりっぱな石垣が残ります。道沿いの石垣は高さ1.5m、幅5mほどしかありませんが、民家背後の斜面の石垣は5mほどの高さがありますが、残念ながら写真に撮ることはできませんでした。それにしても天文の頃の屋敷跡ですがこの石垣はそれ以後のものでしょうか?(また、ある本にはこの屋敷跡は双瀬のバス停の背後の山麓と書いてありましたが、この辺りは三段ほどの畑地の跡のような箇所はありますが、教育委員会の報告書を信用して釣月寺下の箇所を屋敷跡として掲載いたします。)

釣月寺山門
歴史

天文・弘治年間(1532〜1558年)に林左京進が居住したと伝えられます。左京進は今川氏に属して弘治元年(1555年)に織田氏に属した田峯城主菅沼定継に対し、菅沼定直・定氏・定仙らとともに戦い(布里の戦い)定継を敗死させています。永禄四年(1561年)以降は松平元康(徳川家康)に属しています。
  

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