東三河/ 寺脇城



ファイルNo0157

名倉奥平氏の本城

                           主郭の城址碑 

@ てらわきじょう 
  別名  −−−−−

A住所:北設楽郡設楽町東納庫寺脇
B目標地点:     
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:空堀・土塁・碑
G時代/人物:南北朝・戦国期
        /後藤氏〜(名倉)奥平氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落より10分

J撮影・訪問時期:2003年06月

  

道案内 

東名高速道豊川インタを下り、国道151号線をひたすら17Km北上し国道257号線に入ります。30Km先が設楽町役場です。さらに国道257号線を10Kmほど進むと東納庫地区の中間付近で名倉郵便局の先、名倉小学校の手前の下林のバス停のところで右折します。右折した地点より約1Km先の集落の真ん中にある細い道より城跡に入ります。
 
訪城備忘録

集落背後の低い尾根先端に城跡はあります。集落の真ん中のカーブミラーがあるところの民家と民家の間の細い道を進み山に入ります。山に入るとすぐに(本郭下に)幅7mくらいの大きな空堀のような箇所がありますが、資料によれば遺構ではないようです。ここより上に登りますと段郭が三段ほど続きます。主郭下の郭は一段と幅のある郭が巡り、主郭右手(城址碑が立っているところより右手)には虎口が認められます。主郭は40m四方ほどの結構大きなものです。登ってきた側には土塁は認められませんが、主郭背後(尾根側)は高さ2.5mほどの分厚い土塁が巡ります。土塁の外には空堀が巡りますが、この空堀は主郭側面や虎口側にも痕跡が認められますので、往時は周囲すべてを巡っていたものと思われます。基本的には単郭方形の城だったものが防御性を高め拡張されたものと考えられます。

主郭内背後の土塁
歴史

築城時期は定かではありませんが、南北朝期より後藤氏の城であったようです。永正年間(1504〜1521年)から始まる名倉奥平氏は、作手奥平氏二代の貞久の子貞次を祖とし、寺脇城はその本城として機能していました。名倉奥平氏二代の奥平喜八郎信光は後に戸田加賀守と言われ、松平氏(徳川氏)に従いました。なお、後藤氏はこの地方の豪族と考えられ、奥平氏が名倉盆地に進出以降はその配下に組み込まれたものと考えられます。

主郭と土塁     土塁外側と空堀
主郭虎口      主郭虎口横切岸
  
   城跡入り口     城跡遠景(左手の茂み)

近くの城・関連の城:奥平館 清水城